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禅って何?

こんにちは!

バーチャル坐禅会をしました。


参加していただいた方、ありがとうございました。

メタバースなのでハンバーガと一緒に坐禅をすることもできます。

坐禅の後は、「禅って何?」ということで、禅についてお話しさせていただきました。

皆さん、禅という言葉はよく目にしたり、耳にしたりすると思います。
日本人には馴染みのある言葉だと思います。

海外の日本料理屋さんの名前で「ZEN」とう文字がよく使われていますし、世界的に有名な日本語にもなってきています。

「禅って何」と聞かれたら、なんて答えますか?
身近な言葉ですが、説明するのは意外と難しいかと思います。


「禅」の意味

言葉の由来から説明します。

仏教はインドで生まれました。インドの古代語のサンスクリット語の「ディヤーナ」が由来になっています。

ディヤーナには「心を静かに落ち着ける」という意味があります。

宗派の中の禅

禅、禅宗とも言われますが、禅は数ある仏教の中の宗派の一つです。

メタバースの中にclusterがあるように、仏教の中に禅があります。
禅は仏教の色々ある派の一つになります。

仏教の宗派

禅宗の他にもたくさんの宗派があります。まずは日本の宗派の一部を簡単に紹介させていただきます。
私は曹洞宗の僧侶です。説明が曹洞宗寄りになってしまっていたらすみません。

仏教は悟りを目指すという宗教です。
悟るための方法の違いで色々な宗派に分かれています。

例えば、浄土宗や浄土真宗などの宗派は浄土教というグループになります。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えますが、「南無」には信仰するや、よりどころにする、お任せするなどの意味があります。
浄土教は簡単に言えば、「阿弥陀さま」という仏さまに死後、極楽浄土と言われる悟りの世界に導いてもらおうという教えです。

真言宗や天台宗は密教というグループになります。
密教とは文字通り秘密の教えです。悟りを得るための秘密の教えが、教団内で伝えられています。

日蓮宗は「南無妙法蓮華教」とお題目を唱えます。妙法蓮華教は『法華教』というお経のことです。『法華経』をよりどころにしたら悟れるという教えです。

宗派を全部紹介することはできませんでしたが、このように、悟りまでの方法の違いによって様々な宗派に分かれています。

※自分の宗派以外は知らないことが多いです。何かありましたらコメントして、教えていただけると勉強になります。

禅宗

「どうやったら悟れるの?」という問題ですが、
禅では「私たちはもうすでに仏(悟りを開いている状態)だが気がついていない」といいます。

One Directionの『what makes you beautiful』で
 “You don’t know , oh oh,
You don’t know you’re beautiful”
と歌っている所があります。
和訳:君は自分が綺麗だってことを分かっていない。

禅僧は「君は仏だけど、自覚していない」と歌います♪
“You don’t know, oh oh,
You don’t know you’re  buddha” 

「人間は、本来は清らかで完璧なのに、気がついていない。」というのが禅の教えです。

また、禅は修行をしているというイメージもあります。禅は修行をする宗派です。

禅宗の中に臨済宗と曹洞宗があります。この二つの宗派なのですが、悟りと修行の関係で違いがあります。

まず、臨済宗は修行をして、悟りを得る。つまり修行を重ねていくことによって、悟りに気がついていくという教えです。
「修行によって、悟りを目指す」という関係です。

曹洞宗は「修行をしていることが、そのまま悟りである」としています。または、仏として修行をしているということになります。

分かりにくいので例えてみます。
曹洞宗の場合、悟りの状態でいるということは、ジムなどにあるランニングマシンの上に常にいるということになります。
走り続けないと転んでしまうように、 修行をやめたら悟りの状態ではなくなってしまいます。

このように、修行をしている状態そのものが悟りとなっています。
曹洞宗では「修行=悟り」の関係です。
修行と悟りを等しいものとしています。

禅の修行

このような違いがありますが、禅宗は修行をします。メタバースで皆さんと坐禅をしましたが、禅宗の修行は坐禅をします。
しかし、修行は坐禅だけでなく畑仕事や料理、掃除などの日常生活の労働も修行としています。

禅は中国から日本に伝わったのですが、初期の中国の禅僧は労働が禁止されていました。

なぜかというと、仏教では所有を否定していたからです。

例えば100万円の札束があって、それを車の天井に乗せて走っていることを想像してください。
その車の運転手からしたら大変なことです。100万円を落とさないようにスピードを落としたり、段差やカーブでは余計に気を使わなくてはいけなくなったりします。

このように100万円の札束があることよって余計な煩わしいことが増えてしまいました。

極端な例になってしまいましたが、畑仕事などをすると作物などを所有できるようになります。
しかし、所有物を守りたいという執着の心が生まれ、場合によってはそれが煩悩になってしまいます。
このような理由から所得の原因となる労働を否定していました。

個人の小さな争いから、国同士の争いまでも、所有が原因になっていることがほとんどだと思います。

禅僧たちは労働ができないので、街に出て、人々に食べ物を施してもらう「托鉢」で生活を始めました。
その日必要なものは、人に施してもらう「そのひぐらし」の生活です。

しかし、当時は働かずに人から食べ物を貰って生きていて、今で言う「ニート」をレベルアップさせたような禅僧たちを政府はよく思いませんでした。
また、禅僧たちは人里離れた山奥での修行を好んだために托鉢による生活が難しくなってしまいました。

そこで禅僧たちは畑仕事などの労働を始め、自給自足の生活を始めました。そして、畑仕事などの労働を修行としました。
日々の労働も坐禅や経典を読むことと同じように修行として大切に行われるようになりました。

日常生活の一つ一つを大切にすることが禅の修行なのです。

日日是好日

禅の言葉で「日日是好日」という言葉があります。

茶道の映画のタイトルにもなりましたね。

簡単にいうと、「毎日毎日がとってもいい日」と言う意味です。
そんな、陽気なこと言っていられないと思った人もいると思います。

生きているとどうしてもいろんな日があります。

晴れの日も、雨の日も自分自身の捉え方によってはいい日になります。

どんな一日でもかけがえのない1日です。

どんな日でも受け入れ感謝して生きていく。

そうやって、一日一日、さらには一瞬一瞬を大切に生きていくことが禅なのです。


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