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舞台芸術の強度

こんにちは関野です。

先日MICOSHI COMPLEX主宰の早川さんとお酒を飲む機会があって、その時に演劇ガチオワコン説の話をしていたんだけど、少しわかりづらいんじゃない?なんて話になって、それはいかんいかんしっかり説明せねば! と思ったのでまとめてみようと思います。

特に分かりづらかったのが僕がよく言う『非言語情報ってなんなの?』って話だった。

まず僕たちが表現を見て『あー感動したー』とか『めっちゃ怖かった!』などの感想を抱いたり、心が動いたりするのはキャラクターの心情だったりセリフの良さだったり、俳優の表情だったりするけど、ものすごく抽象化するとただの’情報’だ。

僕たちは情報をもらって、それに共感したり反発しながら心を動かして表現というものを楽しんでいる。

例えば、主人公の心情で切ない気持ちになってしまうのは
『△△なのに相手の気持ちを推し量って/無視して〇〇って言っている!』
という'情報'を受け取り、その後にようやく『私と同じ!』や『こいつむかつく!』と僕たちの心は動くようにできている。

だから情報を発していない表現は絶対にない。(そして新しい情報がないものはつまらない。ずっと同じこと言ってたりとか、もうラストわかっちゃったじゃーん!とかなるやつは大体新しい情報がなくて飽きてしまう。飲み屋のおっさんと同じだ。)

つまり我々人間が五感(もしくは第六感)を使って得られるもの全てを’情報’だと定義できて、須らく表現は情報を発し続けている。そして、そのうちの言葉を使って表すものっていうのが言語情報でそれ以外の感覚を使って表すものが非言語情報だと定義できる。

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で、そうすると言語情報と非言語情報が完全に分離したものだと思っている人がたまにいるんだけど全然そんなことはない。

例えば小説だったり文芸だったりの文字媒体は言語情報だけを発していると思われがちだけど、実は装丁の手触りだったりで非言語情報も多分に含んでいたりする。キンドルとかは作品ごとに手触り違うとかないけれども。

つまり全ての表現は言語情報と非言語情報が絡みあって成り立ってるわけです。

で、もちろん舞台芸術っていうのは言語情報と非言語情報の両方を使っている表現の手段なんだけど、特異な点が一個だけある。
それが非言語情報の量がめちゃめちゃ多くて、かつ質(純度)がめちゃめちゃ高いという点だ。

よく演劇界隈の人たちが『生だから演劇の方がいいんですう。』とか『生なんで熱量やばいです!』とか宣っているのを見るが、当たってるけど、舞台芸術の強みを全然説明できてないから悔い改めてほしい。それじゃ絶対にお客さんはこねえ。あと『生だから』という枕詞をやめろ。エロい。

僕はよく通信手段で例えるようにしている。

例えばラインで文字情報だけのやり取りをしていると相手のこと怒らせちゃったんじゃないかとか、自分のこと勘違いしていないだろうか?と不安になったりすることがあるし、コミュニケーションに齟齬が生まれやすい。

それが電話になると相手の声が聞こえるだけで心情が少しわかったりして安心する。でも顔が見えないからやっぱり不安は不安。

じゃあテレビ電話にしましょうとなると、映像情報が入るので電話より食い違いはかなり減るし、ずいぶん安心して話せるしラグもない。顔は最大の情報発信源であることがめっちゃわかる。

でも、あれだけテレビ電話で話してもなお、対面で顔を見て話すと僕たちはめちゃめちゃ濃密なコミュニケーションを取れて心底安心しちゃう。逆に怖い人とかだと、絶対に直接会いたくなくてメールか電話にしちゃうのもそれが原因だ。

だって対面で顔を付き合わせて話すということは、音声は自分のマックスの感度聞けて、映像も自分のマックスの感度で見れて、なおかつ嗅覚や触覚だって共有することがあるのだ。情報量がやべえ。

昔、『セックスしたらだいたいその人のこと分かるんですよね』と言ってた女の子がいたけれどあながち間違っていないと思う。だって五感をフル活用しているのだ。性交時の情報量の多さはヤバすぎて下手したらスーパーコンピューターとかでも処理できないレベルかもしれない。

で、じゃあそれを表現に落とし込んだらどうなるだろうか。

ラインは小説で、電話は音楽プレーヤーで聞く音楽で、テレビ電話がyoutube動画/映画で、、、と考えると舞台芸術は対面で直接会うということに符号する。

つまり舞台芸術は非言語情報の多さと質が他の表現に比べて段違いなのだ。

演劇なんて台本にすると短編小説一冊に満たない文字数なんてこともざらにあるのにあれだけのカタルシスを渡せるのはこの非言語情報の量と質がめちゃめちゃいいことに起因している。

だから、この点において舞台芸術は唯一他の表現手段に勝っていて、費用対効果とか人件費とか、拡散性とかそういった不便を一手に引き受けても動じない2500年の歴史なんかを感じてしまうなあという話を早川さんに説明したらずいぶん喜んでくれたのでここに記します。

そして願わくば舞台芸術に関わる人が自分たちのしていることのストロングポイントを的確に説明できるようになって、集客の足しにでもしてくれたらなと思います。

追記:ものすごいつまんねー演劇見て、バチクソ殺したくなるのは、『つまんねー情報』を 視覚 / 聴覚 / 嗅覚 / 触覚 というあらゆるルートを縦横無尽に使いながら、めちゃくちゃな量で、かつ純度の高いつまらなさを押し流してくるからだ。つまらなさで僕たちを蹂躙してくる。そりゃ殺したくなるわ。

おわり。

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