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二度とペットが飼えなくなる本 『聖なるズー』は、恋愛ができない自分のための冒険譚だった。

『聖なるズー』著者・濱野ちひろ を読みました。


思いちがいをするなかれ


10代の頃から10年以上のDVと性暴力を受けた作者。「愛がわからない」という彼女が、自身の性から解放されるために選んだ道は、動物性愛≠獣姦の研究者になることだった。——

そんな触れ込みに興味を持って読み始めた本作ですが、想像していた8倍以上は面白かった超傑作でした。あらすじの時点で面白そうだなと思いつつも、私がそこまで期待をしてなかったのには事前の思いちがいがあります。

・研究者の書く本は、読みづらく難解に書かれたものが多いというイメージ。
・動物性愛やDV、性暴力というテーマは、精神分析の文脈で語られるだろうし、シスヘテロの話だから、ジェンダーやセクシャリティの話はあまり出てこないだろうという予想。

そんな風に考えていたので、興味ある部分だけ流し読みしようと思って購入したんです。そしたら、とんでもない。こんな読みやすく構成力の高い本も無ければ、セクシャルマイノリティの内面の葛藤にフォーカスした旅行記なんですね。

まず、読みやすいのには理由があります。作者は、長年ライターとして活動されていた方で、読みやすい面白い文章というのが本当に上手いんですね。では、研究の傍らで突火なエピソードを書いたノンフィクション旅行記なのかと言われれば、そんなことも全くありません。ノンフィクションなのに、時系列を整理して、ジョークを交えながら、研究報告書としてまとめ上げているのです。
次に、精神内科的な知見とシスヘテロの人物というのは、ほとんどでてきません。語られるのは、文化的な背景であり、作者は徹底して「ズー」(動物性愛者のこと) である彼らの生活に寄り添うことにこだわり、そこで伺い知れた内面性を描いていくのです。ときに、動物たちに最適化されたためにシャワーも止められた不衛生なアパートに泊まり込んででもです。また、「ズー」には、オスのパートナー(犬)と暮らす“ゲイ”の方が多く、ズーのレズビアンや身体障害者であるために最高のパートナーとの生活を送る方まで登場します。そして、彼らの悩みは、性的マイノリティの多くに共通することに気が付くのです。さらに言えば、人間関係への違和感や、性器や社会的な強さを持つがゆえに、ジェンダーとセックスに悩むことは、現代の日本では多くの人が持っていると予想できます。

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考えたいポイント


ズーのほうが恋愛上手で落ち込む。
「ズーは恋愛や人間関係が下手だから、動物がパートナーになるのでは?」とひどい想像していると大間違いなんですね。本書から感じるズーの印象は、人並み以上の観察力と共感力があり、幼少期から思考力の高く、極めて純粋に愛を求める人たちです。彼らがパートナーの動物にするように他者のために思いやり生きることなんて、私にはできないということは、本書の4分の1を読んだときには既に感じていました。読み終わった今でも、そのことは変わらず、私は恋愛に不向きなのだなと思います。

ドイツはやっぱり面白い。
本書で語られるのは、ドイツで過ごしたたった4ヶ月間の彼らとの交流です。それが濃密なんです。あと、ドイツという国がやっぱり面白い。カルチャーとモラルと差別と国家という4つの相関関係を見るときに、ドイツほど研究対象として優れた国は無いでしょう。アートを中心とした文化支援の先進国であり、人権先進国であり、動物愛護先進国である誇り高きドイツ。この国に、世界唯一のズーのための組織「ゼータ」があるのは必然でしょう。ナチスが動物愛護法を建前に政策していたことも興味深いですね。

ペニス論
作者は、世界の多くの人がそう結び付けるように、性暴力の根源と象徴をペニスに見出します。これは、ズーの潜在意識から読み取れる理屈なのですが、ペニスを持つことがうしろめたいことだと言うのです。しかしだとすれば、大きなペニスを持つ人は、全員が潜在的な性暴力者になってしまう。作者は、被害者としての自身の経験を思い出しながら、「性暴力の本質がペニスそのものにあるはずがない」と言うのです。ちなみに、続く章では、人間が生きていくことに暴力性が必ずともなうことを人間と動物の関係から見出します。その後、様々なパートナーの例から、愛とセックスを巡るストーリーを展開するのです。作者の構成力に脱帽。

セクシャリティは逆転する?
ジェンダーやセクシャリティ論の中でも、目から鱗の特筆すべき例が、ズーになることを自ら意識的に選択した人たちの話です。動物性愛者は、ドイツでも強い偏見と差別に晒されます。しかしそれでもなお、ゼータを知り、ズーという生き方を選択するのです。本書はこう語ります。『セックスの本能が先にあってセクシャリティが発生するとは限らない。セクシャリティを考えるとき、セックスとセクシャリティの位置を逆転させることも可能だ。「このようなセクシャリティのために、このようなセックスを選び取る」と宣言してもよいのだ』と。

ペットのマスターベーションができるか?
本書のペットを飼えなくなる最大の理由がこれです。日本では、多くのペットが去勢され、子どものように扱われますが、彼らはそれを否定します。成犬は成熟した存在であり、当然、健全な性的欲求を持つのです。彼らは、その深い観察力から、犬の感情を的確に読み取り、イライラしてるのに放っておけないと、犬の射精を手伝ってあげるのです。それが、本来的に動物の健康的に正しいことだとしても、ペットに服を着せ、写真を撮る日本人にそれは可能なのでしょうか?

ゼータの自己矛盾
本書では、一見すると、平等性を手に入れ、暴力性から逃れたように見えるゼータの自己矛盾も、また指摘します。本書の締めくくりは極めてハードなものです。『ズーたちにとって、動物は動物でなければならない。彼らは人間の代替として動物を必要としているのではない。動物にこそ彼らは癒やされ、ケアされている。初めから裏切りのない「愛」をくれる相手と、彼らは暮らしている。』と。
しかしながら、私はそれも当然のように感じます。なぜなら、全く、暴力性をともなわない愛など定義できず、愛と暴力性はグラデーションの問題として存在していると思うからです。

研究のアップデートの必要さ
この研究にさらなる調査が必要なことは、本書でも示唆されています。主に、研究例の偏りと少なさ、そして、ゼータに対する精神内科的な研究の皆無です。本書では、語られないですが、世界にはケモナーやfursuitというカルチャーがあります。彼らも含めた人間関係の嫌悪や人間嫌いであることとの関係性は考える必要がありそうです。また、プレイにおける被虐願望の考察も気になるかもしれません。さらには、ゼータのメンバーのほとんどが高い観察力と思考力や人間的成熟を、幼少期から持ち得ていたことは想像できます。そうした意味でも、心理学的な観点は必要となるでしょう。作者の今後の活動が楽しみで仕方ありません。

映像化希望
さいごに。本書は、ノンフィクション書籍でありながら、旅行記であり、個人的には冒険譚と言いたいほどの感動とスペクタクルがあります。実際に、涙ぐんで見てしまうシーンもいくつかありました。映画やアニメにしてほしい。そう思える作品でした。“次回作が欲しすぎる。”


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