明の7「博多口」 (23)

 貫一は私との対面を隠蔽した。しかし、その理由は何なのか。彼が言うように、私がお宮を連れて博多口に行けば、お宮を奪還を試みるはずだ。
 貫一は駅構内に交番があるとは言ったが、その交番は駅構内の中心にあるわけではなかった。博多口の前にある広場の、極めて端寄りにあるために、駅の構内を見渡すことなどできはしない。そして、私も彼も、警察からの注目を好まないために、無理やりにでも貫一がお宮を連れ去ることは可能だった。しかも今の時間、暗がりでますます構内の様子は見渡せない。すると、貫一が私に何かのメッセージを伝えようとしているのは明らかだ。
 ここで私が貫一と会った、と決めつけてしまうのも、明らかな過誤だった。今まで女性の興味に引っかからなかった男でも、何かが劇的に改善されれば一日に複数回女性から誘いを受けることはある。同業に会ったことの無い私が、今日日二人の同業から襲われることもあり得る話だ。私は、自分以外に存在する同業者に何の関心も抱いていなかった。もしかしたら、自分が誰かと連絡を取り合っていれば、貫一の顔も知り得たかもしれない。
 どういうわけで人が戦争となれば兵士となり、人を殺す選択を行うのかは知っているだろうか。
 何も手を打たなければ相手から殺されてしまうから、自己防衛のため。
 それが自分の仕事だから。
 そう訓練され、体が自動的に動く殺人マシーンと化しているから。
 これが月並みに挙げられる理由だとは思う。しかし、私はさらにこれらを凌駕する理由があると踏んでいる。これらだけでは決定打に欠けている。
 人は、集団に生きる動物だ。それが切っても切れない習性なのだ。平素、人間は周囲の他人がどう動くか、どういった思考を持っているのかを見聞したり、推察したりしながら自分の行動を決定する。つまり、人は集団に支配されている。
 例えば、Instagramなどのソーシャルメディアで、一体どれほどの人間が、いいねも得られずに投稿をし続けるだろうか。そして、本当に「いいね」と心底思っている人間がいるのだろうか。どの人間も、本音でタップをしているのではない。誰が他人の食事や、のろけ話に興味があるか。実際に見せて、その人の反応をうかがってみればよく分かる。スマホをいじりながら、どこ吹く風の相槌を返す(だから私は人が嫌いだった)。どいつもこいつも、自分の投稿にいいねを返してほしくて、その前払いとしていいね! とタップする、とこうくるのだ。そしてそれは了解されていると思っているがゆえに誰も実際に確認を取ろうなどとは思わない。そんな確認は失礼、と名のついた謎のゴミ箱に捨てられている。
 そこで、人がどうして戦時に殺人を犯すことが容易になるのか。それは軍隊という一つのコミュニティの中において、殺人を行うことはある種の正論だからだ。誰もがそれを特別なこととしていない。それが集団としての論理である。個人は、他人がどう心底で感じているのかを知らずのうちに、当然のことなのだから、と殺人を正論として呑み込んでいる。
 しかし、私は他人が枝葉でしかなかった。他人がどう言おうと迎合しないし、自分にとって正しくないことは正しくない。集団がどう言おうと自分を曲げる気にはさらさらならなかった。だからこそ私は同業と連絡を取り合おうとは思わなかった。そういうわけで私は他の同業の存在を全く気にかけていない。
 そう思っていたところに現れた貫一が、私に大変なショックを与えたことは言うまでもない。
「お宮を車に乗せて、博多駅へ行こう」
 解答を出せぬまま私は、香山の指示に従い、意識のないお宮を車へ運んだ。博多駅へ向かう途中、彼がお宮の耳介がないのを気にして、コンビニへ立ち寄ってニット帽の使いを頼んだ。私はそれを了承し、ニット帽片手にレジに並んだ。レジはまあまあの数の客が並んでおり、私は時間を持て余した。並んでいるとき、香山に教えられたアプリを思い出して起動した。
 私は、AirPodsの位置を見た。博多駅にあった。
 私は確信した。先ほどの襲撃の際に貫一がAirPodsを奪ったのだ。
 貫一は私と会っている。そして彼は、香山に向かって嘘をついたとしても、それが私の横では嘘がばれることに気づいているはずだった。これではまるきり隠蔽が、隠蔽をなしていない。それも私にだけ。つまり彼は私に対してだけ伝えたいことがあったのだ。そして私が彼ならば、殺すつもりが取り逃がして、そして自分を殺し損ねた相手に向かって、こう言うのだ。
『お前の欲しい命はここにある。逃げも隠れもしないでここに存在する。もう一度一人の力で俺にかかってこい。お前の能力を、証明してみせろ』
 貫一は私の狂気を肌で感じ取ったのだ。するとなるほど確かに、彼の手の上で踊らされてはいる。私にとっては雪辱の好機であることは明確な事実だった。
 私の狡猾はこの流れに乗るようそそのかした。暗闇の中、椅子に前かがみに座った男がにやりと歯を見せた。

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