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吉野家の牛丼との出会いと再会と違和感

吉野家の牛丼を最初に食べたのは小学生になる前か、なったくらいの頃だったのだと思う。

平日の夕方くらいの時間帯に、自宅の近くではなく、三宮とか花隈辺りの病院に父親とか祖父が連れて行ってくれるときに、病院前に吉野家の牛丼で夕食をすませるということが何度かあった。

(それは1980年代の中頃のことで、上の写真が1975年なので、その10年後くらいということになる。1975年は牛丼一杯300円だったようだけれど、俺の小さい頃を調べてみると、1985年から1990年は370円だった。)

その頃は、寒々とした店内の雰囲気に、少し不安になりつつ、カウンターの冷蔵ケースの中に漬物があって、食べたいなら取っていいというから、特に漬物が好きだったわけでもないのにおそるおそる取り出して、こんなお店があるのかと少しどきどきしながら食べていた気がする。

俺の小さい頃はサラダなんてなくて漬物しか入っていなかった

昔の吉野家は女の人が一人で入るには抵抗があるような雰囲気だったと言われていたけれど、俺が行った神戸の店舗もそうで、子供からしても、狭い立ち食いうどん屋なんかと比べても比較にならないくらい、子供がこんなところに入っていいんだろうかと思うような雰囲気があった。

昔のことだし、はっきりとした記憶ではないけれど、美味しいと思ってがっついていたし、俺が美味しいというから、何度か連れて行ってくれていたのだと思うけれど、その頃ですら、美味しいけれどなんとなく独特な味だとも思っていたように思う。

俺の家は共稼ぎだったし、ちょくちょくと外食をする家だったけれど、あれこれ食べさせてもらっている中で、吉野家のことを特別好きだと思ったりはしていなかったのだと思う。

その後、親と二人でささっと食事をすますようなことはなくなって、そうすると、家族みんなで外出するときに吉野家を選ぶわけもなく、牛丼屋には十年くらい入る機会がなかったんじゃないかと思う。

けれど、俺が初めて牛丼という料理を食べたということだと、それは吉野家だったんだろうかと思う。

吉野家にしても五歳とか六歳だろうし、それなりに早かったけれど、かといって、うどん屋とかそば屋には家族で行っていたし、そこで牛丼とか他人丼とかを食べたことがあったんじゃないかと思う。

家では丼ものはあまり出なかった気がするけれど、出たとすると親子丼ばかりだった気がする。

けれど、共稼ぎだったから、小学校に入って夏休みになると、昼飯は作っておいてもらったものを電子レンジで温めて食べていて、そのときに加熱してご飯にかけるだけだからと、牛丼が作っておいてあることがたまにあった。

牛丼を作ってあるから、温めてご飯にかけて食べておけと言われたときはびっくりしたような気もするし、そうすると、小学生になるまでは家で牛丼は食べていなかったのだろう。

小学校に入る前くらいに何度か吉野家で食べただけで、それからずっと牛丼チェーンの牛丼は食べていなかったけれど、夏休みにたまに親が作っておいておいてくれた牛丼を食べるようになって、それ以降、俺は牛丼が好きになって、自分から牛丼を食べようとするようになったのだろうか。

だんだん食べる量が増えて、うどん屋とかそば屋で、うどんとかそばとセットでご飯物を付けるようになったけれど、そのときに牛丼を好んで選んでいた記憶はない。
というか、小学校高学年くらいには、セットの丼ものやかやくご飯はたいして美味しくないからと、うどんを大盛りにしてもらうようにしていた気がする。

スキー場とか、旅行に行ったときとか、食堂みたいなところで牛丼を売っていたところはけっこうあっただろうけれど、たまには食べていただろうけれど、牛丼があればとりあえず牛丼を食べてみるとか、自分の中で牛丼がそんな扱いだったことはなかったのだと思う。

家のたまに食べる作り置きの牛丼にしても、ボンカレーとか適当な冷凍食品とかを電子レンジで温めるよりはうれしかったけれど、かといって、がっついて食べて、また食べたいと思っていたかとなると、そういうわけでもなかったような気がする。

家にはヒガシマルのちょっとどんぶりがいつもあったけれど、見覚えがあるのは親子丼のちょっとどんぶりで、あの作りおきの牛丼が牛丼用のちょっとどんぶりを使ったものだったのかはわからない。

パッケージは違ったけれど、こっちはいつもあった気がする

けれど、ヒガシマルは、うどんスープにしろ、ちょっとぞうすいとかちょっとどんぶりも、かなり味が強いけれど、母親の作りおきの牛丼は、多くの場合、パンチにかける甘みがちょっと浮いている感じがする味だったように思う。
うま味調味料がかなりしっかりときいている味わいとは違っていた気がするし、ほんだしに酒と醤油と味醂という感じで、ある程度まとまったらそれでオッケーという作り方をしていたのかなと思う。

けれど、味のまとまりがイマイチで、甘さが浮いていてイマイチだなと思った時の記憶しか残っていないだけで、もしかすると牛丼のちょっとどんぶりを使っていたときもけっこうあって、そういうときは違和感なくそれっぽい味のものとして、がつがつとかき込んで満足していたのかもしれない。

なんとなく思い出せる範囲だと、そんなところだろうか。

俺は牛肉がとても好きな子供だったはずなのに、うどん屋とか家で牛丼を食べていても、牛丼を特に好むというわけではなくて、けれど、吉野家は特別美味しくて夢中になって食べていたし、あれは美味しかったというような記憶はずっと残っていたのだと思う。

再放送のアニメのキン肉マンを見ていたり、テレビで吉野家が出てきたりするのを見て、俺は寒々とした吉野家の店内を思い出していたような気がする。

それでも、自宅の最寄駅には牛丼屋はなかったし、何かの用事があって軽くすませるときは駅にある立ち食いうどんが定番だったし、俺は吉野家の牛丼を食べることがないままで高校を卒業することになった。

高校生になって、土曜日に予備校に行くようになってから、お金をもらって外食をするようになって、三ノ宮の駿台だったから、同じ予備校に行った友達と相談しながら三ノ宮で店を選んでいた。

けれど、それはもう三年生の二学期のことだし、俺は推薦で決まったから冬期講習にも行かなくて、定番のカツ丼屋とかカレー屋とか、他のよさそうなカレー屋とか、行きたい店はいろいろあったし、気に入った店を何度かリピートしたりしながら行きたそうな店に行っていたら、たまには牛丼屋にでも行ってみようとなる前に俺の受験は終わってしまった。

俺は学校では楽しくやっていたけれど、休日に友達と街に出て遊ぶというのはほとんどしなかった。

誰かの家に集まって麻雀をするというのはちょくちょくやっていたけれど、そういうときは、コンビニで何かを買っていたように思う。

数少ない友達でぶらぶらしてみんなで外食した中で、牛丼屋に行ったけれど、それは誰かが行きたいと言って行った珍丼亭だった。

ここではない店舗だったし、看板もまったく違った気がする

名物らしかったし、俺はカツ牛丼を食べたのだと思うけれど、当時はカツ丼がかなり好きだったのもあってか、カツが合ってはいないだろうと思いながら食べた気がする。

もはやほとんど覚えていないけれど、珍丼亭はぼんやりした味というか、何の風味が強いというわけでもなくなんとなく塩っぱいという感じで、あまり美味しいとは感じなくて、さすがマイナーチェーンだと思ったような気がする。

そんなふうに感じたというのは、食べるときに吉野家のようなものを期待していたからなのだろう。
吉野家のようなねっとりとくる感じと、それと一緒になった強い旨味を牛丼味のように思っていたときに、そういうものが薄いように感じたということなのだろうと思う。

(けれど、当時の俺は、旨味が強く添加された外食ならではの味のきつさにほとんど抵抗感がなかったように思うし、もしかしたら、今食べたとすると、珍丼亭の牛丼は味がつけすぎられていなくてむしろ比較的好ましいと感じるのかもしれない)

珍丼亭は神戸名物と言われたりもしていたけれど、もう一回、弟と用事を済ませに外出していたときに、弟が食べたいというから入ったけれど、その二回しか食べたことがないままになったのだと思う。

知らなかったけれど、復刻されたりもしていたらしい

神戸での生活の中での牛丼の思い出となると、それくらいになるのだろう。

神戸ということだと、東京に出てから、神戸らんぷ亭という店に出くわして、何が神戸なんだろうと思ったけれど、らんぷ亭にしても、一回入って、別にぴんとこなかったというか、曖昧な記憶だけれど、甘いけれど風味は全体に弱くて、なんだか薄い感じがするとか、そんな印象だった気がする。

らんぷ亭の場合は、吉野家ほど重くはないにしても、それなりに外食的な味の重たさはあって、甘みが勝っていて、他に味わいをまとめるものを感じにくくて、なんとなく物足りない感じになっていたような気がする。

そういう意味では、吉野家に対しては、薄いとか、ぼけているという印象はなかったし、むしろ、俺は吉野家基準で牛丼を食べていたのかもしれない。

そして、吉野家の牛丼というのが、薄くもなく、ぼけている感じもしない、しっかりとした風味と味の密度と重たさをもったものだったことが、俺が吉野家に対して、美味しかったとは思うし、がつがつ食べてはいたけれど、どこか口に馴染みきらない、違和感みたいなものをずっと感じ続けていたポイントでもあったのだろうと思う。

そんなふうに、俺は小学校低学年で吉野家と出会って以来、それなりに牛丼が身近にありながらも、それほど牛丼を好きだとも思っていなくて、たまたま食べた他の牛丼チェーンにもぴんとくることなく、牛丼を食べる習慣も、牛丼を食べられるのなら食べたいものだという気持ちもない状態で実家を出ることになったのだ。

そして、大学生になってから、だんだんとだけれど、俺は牛丼まみれの生活になっていった。

それについては、また次回。



(続き)


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