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平成=空想 令和=実現

平成元年生まれ。僕にとっての平成は、人に甘えることの強さとその無償の支えに応える渇望をもらった人生の根っこだった。令和は、僕が誰かの力になるために生きる次のステージ。
空想から実現へと向かう確固たる筋道。

0歳、佐賀県鹿島市の田舎で生まれ、
近所のじじばばを全て家族だと
思いながら育った。

18歳、東京で出会ったラーメン屋のおばあちゃんやシングルマザーのお母さんの切実な悩みの吐露に触れ、誰にも言えない葛藤を社会の声にしたいという果てし無い目標をもらった。

22歳、テレビのディレクターに。
仙台の津波の記憶と戦い続ける男の子と出会い、大好きな母親に笑っていてほしいと本音を閉ざし続ける姿を隣で感じ続ける。

24歳、福島で、原発事故というとてつもない不条理への怒りと、所詮よそ者だという引け目との間で揺れる。
それでも、子供達の姿が確固たる信念をくれる。本音で語り合える世の中を作る。
放射能問題で揺れる親たちを間近で見て、
どんな夢でも、復興のためになる〇〇になりたいと枕詞をつけてしまう小学5年生の姿に、私は不健全さを感じずにはいられなかった。無邪気で自由に、心のままの言葉で生きてほしいというメッセージを番組に込めた。

そして、今。
テレビがかつてと違って、
ただ伝えるだけで社会を変える力を持っていた時代は、終わりを告げ始めていると感じる。

でも、小さな声から社会を変えるという目標だけは、諦められない。
打ち上げ花火のテレビと、川のように情報の海に染み渡るネットの力を断続的に使いながら、社会を変えるまで走る。

2歳年上の落合陽一さんは、
平成を準備期間だったと言った。
彼にしかできない力を社会に実装させ、自らの存在を国を変えるシステムの中に置いた彼には遠く及ばない。
でも、まずは、彼の年になるまでのこの令和の2年間、空想を実現に変えるために準備をしたい。

2歳年上の前田裕二さんは、
可処分精神を奪い合う時代が来ると言った。
誰かの心に深く響き、行動を起こさせるまでの言葉や表現を身につける、この令和の2年間にしたい。

そのために、今、目の前のやるべきことをやろう。続けていくことがきっと、イチローのような大きな背中に近づく近道だと思うから。

まずは、令和元年の間に、
この30年でお世話になった方々一人一人に
会いに行きたい。メールでも、電話でも、手紙でもなく、彼らの目の前に立って、話を聞きたい。きっと私の原点が、固まると信じて。

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