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肉屋、「蟷」。

 がごっ、がごっ、がごっ……。
 紫色の光で照らされた黴臭い厨房に、力強く心地よい切断音が響く。
 がごっ、がごっ、がごっ……。
 この音を聞くだけで頬が緩み、自慢の鮫歯が口から覗く。ぶぁんぶぁん、と手元で鳴る羽音が更に私を高揚させる。
 ここは、「湿気の街」にある廃墟ばかりが並ぶエリア、廃墟区域。そこにある大量の建物の内の1つ。元中華料理屋である、2階建ての廃墟。当時は、1階が食堂、2階が厨房だった。
 かつての活気を失った厨房にある調理台の上で、私は人間の死体を切断している。
 がごっ。
 30代前半ぐらいで痩せ型の、全裸にした男の死体を切り終えた。私の左横に置いた青色のポリバケツは、赤黒い物体でいっぱいだ。
 重たくなったポリバケツを持ち上げ、部屋の隅へ向かう。そこには、既に4つのポリバケツが、角のない四角を作るように2列で置かれている。私は死肉の入ったポリバケツを、こちらから見て右側の列に並べた。
 中から食み出た脚は脛毛だらけだった。細い身体の割には逞しさもあるというギャップに、股の辺りが、きゅっと締まった。
 華奢な身体付きだからと舐め切ってこいつを襲ったら、反撃に遭って気絶するまでパコられるなんて妄想が一瞬のうちに脳内で繰り広げられた。自然と内股になり、パンティが少し湿る。
 小汚くなった白色のタンクトップの上から着けた紫色のエプロンで、汚れた両手を適当に拭く。エプロンの右ポケットから煙草の入った箱を取り出し、中から煙草を一本出して口に咥えた。マッチ箱も右ポケットから取り出して、マッチ棒の頭薬をマッチ箱の側薬に勢いよく擦る。しゅっしゅっしゅっ、という耳に優しい摩擦音を奏でながら、先程いた調理台へ向かった。
「ん」
 しゅぼうぅ、という音を立てて、やっと火が点いた。苛立ちよりも喜びを覚えながら、煙草に火を点ける。元気に燃えるマッチ棒は様々な液体が混ざり合ってどろどろになった床に捨て、履いている黒色のサンダルで揉み消した。達成感と共に煙草の煙を吸い込み、疲労感と共に昨夜見た白色の悪夢を吐き出す。
 調理台の上に、全裸の少女の死体が横たわっている。ちょうど10歳ぐらいだろうか。色白で、すべすべな肌。外的損傷は見当たらない。死因は分からないが、身体中から白色の花が生えていることが要因の1つではないかと推測出来た。耳の穴、鼻の穴、口の中、乳首の先端、局部といった目に見えて分かる穴だけに留まらず、眼球、毛穴、指と爪の間等、様々な箇所から白色の花が咲いていた。
 可愛らしい少女の死体から花が生えている。あまりそういった感性があるわけではないが、芸術的だと思った。
 本日最後の仕事は、この幼くも美しい死体か。
 煙草を咥えて煙を吐き出しながら出刃包丁を右手に持ち、振り上げた。
「お駄賃、お駄賃」
「おくれよ、おくれ」
 両側から幼い男女の声が聞こえた。
 声のした方を見ると、右側には黒兎のお面を被った少年、左側には黒兎のお面を被った少女がいた。
「お駄賃、お駄賃」
「おくれよ、おくれ」
 黒兎のお面の少年少女は、こちらに両手を差し出した。
「お駄賃、お駄賃」
「おくれよ、おくれ」
 彼等がこの死体を調理台の上まで運んでくれたのだ。私の肉屋で売る肉を。ここはもう中華料理屋じゃない。現在は、廃墟区域の肉屋、「蟷」だ。2階は今まで通り、厨房として使っている。1階はリフォームを行い、肉を販売出来る内装にした。そして、私は店主、蟷。私の首の右側に彫られた紫色の蟷螂の刺青を見て、「紫蟷螂」と呼ぶ者もいる。
「お駄賃、お駄賃」
「おくれよ、おくれ」
 黒兎のお面の少年少女が、更にこちらに両掌を近付けてきた。
「はいよ」
 私はエプロンの左ポケットから、がびがびに錆びた500円玉を2枚取り出した。黒兎のお面の少年少女の掌の上に、それぞれ1枚ずつ500円玉を置いた。
「あ、そういや」
 誰かに物をあげると、サービス精神が出てきてしまう。
「ちょい待ち」
 私は更に左ポケットを弄って、ポリプロピレン製の小袋に包まれた人肉のパイ包みをそれぞれ1個ずつ渡した。最近商品として売り出した媚薬入りの人肉パイ、「媚肉パイ」だ。彼等にはまだ早いかと思ったが、ラブホ区域で2人が仲良く歩いているのを目撃したことを思い出した。
「また宜しくな」
「お嬉し、お嬉し」
「おありがたいよ、おありがたい」
 黒兎のお面の少年少女は汚らしい色の液体でびちゃびちゃの床の上をぴょんぴょんと跳ねながら、私の周りをぐるぐると回った。私が短くなった煙草を床に捨てたと同時に、彼等は厨房から走り去っていった。
「……さて」
 再度、煙草を咥えてマッチで火を点けた。鮫歯で煙草を噛んだまま、煙を吐き出し、出刃包丁を振り上げる。首に彫った雄蟷螂の刺青が、研ぎ澄まされた鎌を何度も上下させて嗤った。彼の嗤い声に酔いしれながら、少女の死体の首元めがけて、出刃包丁を振り下ろす。
 がごっ。
 白い花と共に、出刃包丁の刃が首に食い込む。再度振り上げ、振り下ろす。
 がごっ。
 刃と花が更に奥まで食い込む。また、振り上げる。振り下ろす。振り上げる。振り下ろす。振り上げる。振り下ろす。
 がごっ、がごっ、がごっ……。
 黴臭い厨房に、力強く心地よい切断音が響く。
 切断する度に思う。なんて心地よい音なのだろう、と。私の腕がいいのか、出刃包丁の刃の作りがいいのか、調理台の素材がいいのか。はたまた、全てか。何度聞いても自分でうっとりするぐらい、耳に至福の音だった。心なしか、手元で飛び回る紫色の蝿もリラックスして、ゆったりと飛んでいるように見える。
 がごっ。
 少女の首を切り終えた。
 切断した付近にあった花は、出刃包丁に切られたり、潰されたりして、原型を留めていなかった。
 少女の綺麗な長めの黒髪を左手で鷲掴みにし、私の左横に置かれた空のポリバケツに丁寧に入れた。
 眼球や髪、口の中、皮膚から白い花がところどころ生えている生首を眺めながら、果たしてこれは商品になるのか、と思った。
 ぱちぱちぱちぱちぱち……。
 出入り口付近から拍手が聞こえた。
 音のした方を見ると、白髪の男が立っていた。
 20代後半ぐらいの細身の男だった。綺麗に白色に染まった髪と眉毛、一重の切れ長の目、高い鼻、薄い唇が、面長で色白の顔にバランスよく配置されている。ぶかぶかで白色の長袖シャツを着、同様にぶかぶかで白色のデニムパンツと黒色のローファーを履いている。何より目立つのは、右耳の下でゆらゆら揺れる白色の鳩のピアスと、同じく左耳の下で揺れる白色の花のピアス。厨房を照らす裸電球から放たれた紫色の光を受け、獲物を捕らえようとする肉食動物の目みたいに、ぎらぎらと危うい光を放っていた。
「んー……うっとりしますね」
 色白男がにこりと笑うことで浮き上がる涙袋は、大袈裟ではなく今まで見てきた中で最も官能的だった。
「おう。ありがとな」
 何も驚くことはない。私が肉をカットしていると、外から切断音を聴きにくる奴が多々いる。やはり、人を癒す効果があるのだろう。きっと、こいつもそのうちの1人だ。
「単刀直入に言いますと、その死体、返してくださいね」
 色白男が右腕をまっすぐ伸ばして人差し指を向けた先には、白い花が咲く首なし死体があった。
「あーーー……」
 私は短くなった煙草を床に落としてサンダルで踏み消してから、首を傾けた。
「ん?」
 色白男は、左耳にぶら下がっている白色の花のピアスを左手で弄りながら言った。
「どうやら、僕の2人の部下がうっかりしてたみたいでですね。黒兎のお面を被った少年少女に、その死体を持っていかれたみたいなのですね。元々僕達の物だったので……言い方、間違ってませんよね? 死体、返してくださいね」
 面倒事は嫌いだ。この街では、初対面の人間との面倒事は命取りになる。
「あんた、何者?」
「『白鳩の麻薬王』」
 色白男は私の目をまっすぐ見て、低く甘い声で答えた。
「……なんて、呼ばれたりしてますね」
 にこっと微笑んだ色白男、白鳩の麻薬王の可愛い笑窪から、冷たく鋭い狂気を感じた。
 やはり、関わってはいけない人間だ。逆らってはいけない人間だ。白色の花の生えた少女の死体と白鳩の麻薬王。どういった関係があるのかは分からない。だが、この街の闇の、もっと深い部分にある闇の話に違いない。一介の肉屋が関わっていい話ではない。
 新しい煙草に火を点けて煙を吐き出し、動揺を隠す。
「……いいよ。持ってけよ」
「ありがとうございますね」
 白鳩の麻薬王は軽く会釈をすると、何かを思い出したかのように顔を上げた。
「代わりにと言っては難ですが、1階に今回の原因である2人の部下のうち片方の死体を置いてありますのでね。かなりの美女なので、美味しいと思いますね」
 蟷螂の刺青が、ぶるぶると震えていた。恐怖もあるが、それだけじゃない。こいつに犯されたい。圧倒的強者に、身体の内部の形を変えられるぐらいまでめちゃくちゃにされたい。
 恐怖を感じる度に、自分が弱者だと分かった瞬間に、昂ってしまう私は変態か。それとも、人の身体を切断して生きている人間へかけられた消えない呪いか。
 口が勝手に動いていた。
「……私も、美味しいですよ」



【登場した湿気の街の住人】

・肉屋、「蟷」の店主
・黒兎のお面の少年
・黒兎のお面の少女
・白鳩の麻薬王

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