知らない人と旅行した
スウェーデンに住んでいる家族に会うために,一人で旅をした。
関空からヘルシンキ行きの飛行機に乗ったら,知らない人の隣になった。
知らない人の隣になるのは、一人旅なんだから当たり前だ。
知らない人は日本人みたいに見えたし,女性で,私より少し年上に見えた。
ちなみに言うと,私の座席は三人がけの真ん中だった。
日本人女性は廊下側に座っていたが、窓側の隣人もおそらく女性のようだった。
窓側の人は眼鏡をかけていて,日本人ではなさそう、私と同じ年齢くらいの人だった。英語は分かるけど苦手そうな感じだった。
機内食が配られる前,隣の日本人女性(Oさん)は目の前のシート裏に備え付けられたタッチパネルで飲み物の選択肢を見ていた。
英語で見ていたので(日本人のように見えたけど英語メインで話す方なのかもしれないな)と考えた。日本語のオプションもあったから。(私は日本語がある場合はぜったい日本語で読む)
豚のしょうが焼きか,鳥の照り焼きか・・・ちょっと迷ってたんだけど,「chicken or pork?」のごはん係質問がきたとき,Oさんが「pork」と言ったので,私もporkにした。(私はすぐ真似する)
飲み物のかかりは,Oさんよりも先に私に聴いてきたので,
私は「ワインってありますか?」ってきいた。
「あります」と飲み物係さんが言ったので,
私は「じゃ,白ワインください」って言った。
次のOさんが「私は,赤ワインください」って言った。
飲み物係があっちへ行ってから,Oさんは私に「ワイン,有料って書いてあったから頼めないって思ってたけど,頼めましたね」って話しかけてくれた。
私は「ですよね。飲み物の所には有料ってあったから迷ったんですが、
食事のメニューの所に(軽いアルコールかソフトドリンク)と書いてあったので,一応きいてみて、良かったですね」と答えた。
それから,ご飯を食べる間,こんなに近くに座ってるわけだし。と思って,あの,よかったら・・・ともにょもにょ言いながら私はインタビューをはじめた。ひとまずどこ行くんですか。って。
そしたら,フィヨルド見に行くって。
ああそうか,そしたらベルゲン鉄道で?と私は嬉しくなって言った。
「旅程を色々提案してくれて、手配してくれるプランを頼んでみたの」ってOさんは言った。
それで、ヘルシンキからベルゲンに行く飛行機に乗るって。
それからしばらく旅行の話になった。どこに行ったときが楽しかった?っていう話で,私が「ハンガリーとか」と言ったら,Oさんは嬉しそうな顔をした。「息子がハンガリーに留学してたことがあって。ブダペストから電車で数時間かかる街でした。」って。
「まさかいきなりハンガリーっていうからびっくりしちゃった」って。
私は「温泉に行きたくて。あの野外のお湯でおじさんがチェスしてるようなのとか。」って言ったら,Oさんは「温泉は勇気がなかったから入れなかったわ、1人旅だったから」って。
広大な野外プールみたいな温泉で、本当におじさんたちがチェス盤浮かべてチェスしてた、あったかかった湯気の中の雰囲気思い出した。
それから,ほかには?っていう話で,Oさんはイタリアが好きだって言ってた。街ごとに雰囲気が違う。美味しいものがあって,みるべきところがあって。って。
そうですよね,イタリアって本当にご飯美味しいですよね。って言いながら,自分もローマの砂埃を思い出した。
それから大学生の頃からの親友Hちゃん(イタリア在住)と,2年前から連絡がとれなくなってることをまた思い出して不安になった。帰国したらいつも会おうと誘ってくれて,できるだけ会っていたHちゃんが,なぜ何も書いてくれなくなってしまったのかは分からない。最後に会ったときのこともよく憶えている。神戸の中華料理屋さんで,Hちゃんと息子さんと,私とRくんで美味しいものを食べた。ホテルまで散歩して行って,笑顔で別れた。いままでと変わらないはずだったのに,どうしたのかな。
そんなことを2秒くらいで考えてから,またOさんと話した。
オランダもいいところでした。っていう話になり,自分はゴッホ美術館と,マーストリヒトという海辺の街で遭遇した蚤の市が印象に残っていますと話した。Oさんはまた嬉しそうに「私もオランダに行きました,オランダには甥が住んでたんです」って。ライデンという街だったそうだ。
その話を聞きながら,自分もオランダで食べた小さいコロッケ,薄くて広いパンケーキ,蜜が入った固くて美味しいワッフル,ハーリングと呼ばれる酢漬けニシンなど数数の美味しい食べもののことを思い出した。
一人で旅行をするわけ。お盆かお正月のどちらかで旅をしてること。
今日のお昼までバタバタ仕事してたこと。どんな計画で何泊するか。
コロナ禍でだんなさんが入院され、回復されたこと。
それぞれ趣味が違うから旅は別々に行くんだってこと。
私が行く姉の家のはなし。なぜどんな風に姉一家がスウェーデンで暮らしているのか。私が昨年病気の治療をしていたこと。
まだ治療してるけど,ずいぶん元気になったなって感じます,という話。
狭い場所で二人の知らない人同士が(本当は窓際にももう一人いるけど,この人は食べずに眠ってた),少しずつ情報を交換しながら,ボール紙みたいなので出来た箱の中に入っているショウガ焼き+ご飯のミニ弁当を食べた。それぞれ赤と白の,プラスチック小ボトルに入ったワインを飲みながら。
それから、うすい,干した果物と穀物が入ったクッキーを食べて,「これ美味しいですね」「本当,意外に美味しいわね」って言い合った。
そのあと,Oさんは映画を観ることもなくすんなり眠った。
私は眠れないので本を読んだり,映画を眺めたりした。読んだ本は
あいだで考えるシリーズより,
の二冊。
それから,目の前のパネルに出て来る映画も観た。
インサイド・ヘッド2があれば観たいなーと思ってたけどなかったから,何か観たいのないかなぁと思って探して,結局
母親の勘,という映画。これけっこう面白かった。
ああそういう意味だったんですね。そりゃそうですよね。
と言いたくなるような話でした。飛行機じゃなきゃ観てない。こういう映画がいい。
もう一つ観たのはこれ。
クリント・イーストウッドは油断するとつい観てしまう。
役所広司もつい観てしまうが,それと似てるんじゃないか。
この映画は寝たり起きたりしながら一応最後まで観たが,あんな適当に観たとしても最後まで観てよかったなとのちに思うことになる。(伏線回収しますよ宣言)
12時間くらい経って,またご飯が配られる時間になった。私は飛行機に乗ったとたん鼻がかちかちに詰まってしまったので(何故かよく分からない),Oさんが心配してくれた。
(「鼻が詰まって眠れなかったんじゃない?大丈夫?」って)
私は,薬の副作用でどちらにしても,全然眠れないんです。睡眠薬飲んだら眠れるけど,乗り換えとかもあるからどうかなぁと思って。また着いたらしっかり眠ります。って言った。
飛行機を降りる前,さよならと言い合ったけど,ヘルシンキの飛行場,乗り換え前の荷物検査場でまたOさんに会った。Oさんはベルゲンへ,私はヨーテボリへ行く飛行機に乗り換えるんだ。
一緒に列に並んでたら,荷物検査場のコンベアがストップした。逐一中身を出して荷物検査しなきゃいけない物が入ってそうな荷物が多すぎて,
検査官たちが本腰を入れることを決意したらしい。
私が乗り換える飛行機のボーディングタイムは7:00で,いまは6:08分。
まあまあ時間がない。
頭のどこかで(大丈夫かね)と思いつつ,(まあ,私にできることはないし)とぼーっとして突っ立ってると,Oさんが私に「乗り換えの便は何時?」と言う。私は7:00です,Oさんは?。と答えるとOさんは「私は8:30だからまだ大丈夫だけど,Mさんははやくしてもらった方がいいかも!ほら見て,早くしてほしい人は赤いカゴに荷物を入れて早くやってもらってるわよ」
と教えてくれた。Oさんは観察眼がするどい。
Oさんに励まされたので「あの,私,まあまあ急いでるんだけど,この荷物ここに入れてもいい?」と言ったら保安官たちが「いいよ」と言ったので,荷物を入れて,自分自身も通った。
荷物は「要検査」のレーンと「検査しなくていい」のレーンに分かれて排出される。そして私の荷物は2つとも検査されるレーンへ流れていった。
これは時間がかかりそうだ。
自分の荷物が検査されるまでの時間,みんなすごく暇だったので,主に知ってる人同士で大きい声で話し始めていた。
一人の陽気そうな日本人女性とおぼしき方が,友達とおぼしき方に向かって「ねえ,あなたあのクリントイーストウッドの映画みた?わたしあとちょっとのとこで最後まで観られなかったの!どうなったのかしら」と言ってた。それで私は,その知らない人に「私,観ましたよ!」と言った。
(なんせ,荷物が動いてないから暇なの)
すると、その新しい知らない人が私に
「どうなった?あのあとどうなった?」と言うので,
嬉しくなって「どこまで観ました?」と言ったら
「スカウトしてきて,ブーが打ったか打てなかったか・・・」
(ブーとは)と私は思った。
ブーなんていたっけ。
でもまあいい,私なりに話す。
それをふんふん,なるほど,という顔で知らない人は聴いてくれて,
それから最後にこう言った。
「つまりまあまあハッピーエンドってことね!」
ですです。そうです。と私は答えた。
それから,2つのトレーに置いた私の荷物のうち,1つめが
「これ誰のんや?!」と検査官に言われたので、急いで
「私のんです!」と言いにいった。
「この中見てもいいか?」と言われたので
「もちろんです,なんでも見て下さい」と言った。
リュックの奧の方に,小さい水のボトルが入ってた。
検査官が「今飲む?それとも捨てて良い?」と言われたので、捨ててもらった。
それからあともう1つのトレーも検査してもらったら行けるので,
私はじっと待ってたら,またOさんが心配してくれた。
ちなみにOさんはなにもいらんものは手荷物に入れてなかったので(さすがです),点検なしのレーンでもう手荷物検査場を離れてもいい状態になっていた。
Oさんはまた冷静に観察して、その結果、私にこう言った。
「急いでる人は,自分で急いでるって言いに言ってはやくしてもらってるみたい。Mさんも言ってみるといいかも」って。
それで,私は一人なら永遠にボーッとしていただろうが,
せっかくOさんがすすめてくれたので,検査官に話しかけた。
「あのさ,私,乗り換えが近くていそいでるんだ」
検査官は「うん,わかるよ(Yah, I understaaaand)」と言ったけど,
別に順番を早くはしてくれなかった。
(understandって絶妙な断り文句だ)と感心した。
それで、まあいいか,と思いながらもうちょっと待ってると,
さっきの映画の顛末を訊いてきた人がまた私に話しかけてきた。
ねえ,あの,お墓の前で歌ってたのよかったよね。
YOU ARE MY SUNSHINE…って,あんな風に歌うのはじめて聴いたけどさあ。私もあんな風に歌ってみようかって思ったよ。
私は一瞬なんの話かな?って思ったけど,ああそうだ,映画の話か。そういえばあったね,クリントイーストウッドが,奥さんのお墓の前であの歌詞をつぶやくシーンね。(私はつぶやきだと思ってたけど,この人はちゃんと歌だと思って聴いてたんだな)
いいシーンでしたね。と私は言って,
それから「うた、歌われるんですね。いいですね」って言った。
そう,私歌うの。
ってその人は嬉しそうに言った。
いいですね!ってもう一度言ったら,
一人で旅行?って言われたから,そうです。って言ったら
さっききこえたんだけど,あなた,すごく英語上手だった。
あなたも歌ってみてよ。
って言うから、
ありがとうございます。私もきっと歌います。って言った。
やっと私のもう一つの荷物が出て来て,
呼ばれて検査されたけど,とくに何もよくないものは入ってなかった。
荷物検査場を出る前,その映画話をした知らない人に,
「では,行ってらっしゃい」と声をかけた。
「はい!さようなら!行ってらっしゃい」とその人も言った。
日本の家族に電話しながらEU入国の列に着いた。
ここも長い列が出来ていた。
電話を切ると,Oさんが、私のすぐうしろに並んでた。
「トイレに行ってたら,私の方があとになっちゃった」とOさんが言った。
で,私はまたいつも通りボーッと並んでいるだけだったんだけど,
Oさんがめざとく,「急いでる人は,あの人に声をかけて早く入国審査してもらってるわ。Mさんも話しかけてみたら。」と言うので,
その"あの人"と言われてる女の人に声をかけてみた。
「この時間ってどうですか,いそいでる人に入れてもらえる?」とチケットを見せたら,「ああ,こりゃ急がなきゃ」となって,私はファストパス専用みたいな通路から入国審査に入れてもらった。
そこで本当に,Oさんにサヨナラって言った。
どうか,フィヨルドのあたりのお天気がよくて,
無事に良い景色が見られて,楽しい旅ができますように。
(Oさんはもう、私にとって、知らない人じゃなくなった)
そのあと,入国審査を受けた。
入国審査の人は30台前半くらいの男性だった。
どこ行くの?
ヨーテボリの姉家族の家。
行くのは初めて?何日いるの?いつ帰るの?
うーん,5回目くらい。全部で十日間くらいかな。帰るのは確か・・・26か・・・なんせ日曜日に帰りの飛行機に乗る。
じゃあ25だね。と入国審査の人は言った。
それからその人は,
「ねえ,昨日から今日にかけて,日本に行く便とか日本からの便がけっこうたくさんキャンセルされたんだけど,どうしてか知ってる?」
ときいてきた。
私は(けっこう混んでるのに,この人,ぜんぜん気にしてないみたい)と思い,まあいいかと自分も落ち着いて「あのさ,台風が来てたと思う。私が日本を出て来る頃に,台風が来るってニュースでやってた。今の状況は知らないんだけど台風じゃないかな。」って言った。
言いながら私は、台風のことをタイフーンって言う楽しさを味わっていた。
もともとの言葉が台風だったのか,タイフーンだったのか,
どっちが先か、よく知らないけど。
それから一人でEU圏内に入った。私のゲートはほとんど一番端っこだったので,荷物を抱えてぴょんぴょん走った。
走ってたら,一人のおじさんが私に会釈をした。
ヨーロッパ人男性とおぼしき,れっきとした知らない人である。
私も会釈を返した。知らない人はふんわり笑った。私も。
空港は知らない人ばかり。
荷物を抱えてまだよちよち走りながら,私は考えてた。
短い時間だけど,私は,知らない人と旅行をした。
私は最近,「知らない人」についてずっと考えてる。
知らない人について考えてるってこと自体が,
いったいどういうことなんだろうと思いながら。
これまで私を助けてくれた多くの人は,ほとんど知らない人だった。
(知ってる人になってから助けてくれた人もたくさんいるけど。)
旅行してると,とくにたくさん知らない人に会う。
知らない人の多くは,私を助けてくれる。
私は一人で旅行したけど,
本当は,たくさんの知らない人と一緒に旅行してる感じがしていた。
帰りは一人かもしれないし,また知らない人と旅行するのかもしれない。
ヨーテボリの空港で手荷物を回収して外に出ると,私の姉が待っていた。
って,大きな紙に描いて,クレヨンで色を付けたサインをかかげていた。
あっ!!めちゃめちゃ知ってる人だ!!!
私は40年来知ってる姉とハグをした。
彼女の赤い車の助手席に座って彼女の家に向かった。
車に乗ってから彼女が手渡してくれた水筒には,熱い緑茶が入っていた。