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たくさんの仲間とゲイに出逢ったゼミ時代

私が選んだゼミは、大学の中でも個性的な人たちが集まっていた。バイトや飲み会、ゲイ活動に明け暮れていた私はまともに勉強していなかったため、成績が理由で希望していたコースを選択できなくなっていた。なんと、高校が一緒だったT君と2名のみ、そんな状況になってしまった。

しかし、当時の私は全く危機感を抱いていなかった。あー、なんか残念だったな、くらいだった。それで消去法でえらんだゼミに入ったのだけれど、そこが個性的な面々の集まりだった。

音楽家、超イケメンで頭キレキレ、地元の超人気者、おとなしいけどお笑いにめっちゃ詳しい人、などなど。私の人生観は、彼らから大きく影響を受けて形成されている。

ゼミに入った直後、ペアになって行う調査があった。私は、ちょっと面白い性格の女の子と一緒に作業をすることになった。その子は、思慮深くて、ユーモアがあって、独自の視点や考えを持っていた。音楽や映画も好きだったから、彼女との会話はとても楽しかった。

作業を進めていると、どうしても一緒にいる時間が長くなる。話も盛り上がる。それを見ていた知人から「気が合うんだったら、付き合ったら良いんじゃない?」と吹き込まれた。実際にはもっと囃し立てるようなトーンだったけど、当時の「愛に飢えていた」私にとっては、なんだか絶好のチャンスのように思えたんだと思う。

ちょうど、ショタコンの年上彼氏となあなあになっていたタイミングだった。一般的といわれる関係性にも憧れていた。いわゆる、友人たちから公認の仲というやつになるのは、それまで経験がなかったのだ。

それで、私は彼と別れて、彼女と付き合うことにした。
彼女と、女性との初体験もした。でも、上手くいかなかった。1年くらいでダメになった。浅はかな少年の、浅はかな判断だ。どうか許してほしい。

その後は、どっぷりとゲイ活動に励んでいた。
鮮明に覚えているのは、韓国人留学生との関係だ。彼とは、大学入学前にインターネットで繋がったと記憶している。つたない英語で交流していたのだが、おそらく音楽の趣味が合って、それで盛り上がっていた。彼はpizzicato fiveや、小西康晴繋がりで夏木マリなんかを聴いていたと思う。そんな彼が、日本に、私の大学に、留学することになったというのだ。

彼は大学敷地内にあった学生寮に住んでいた。色白で背が高く、それでいて線が細いわけでもない感じだった。彼の部屋はとても狭かった。4畳ほどの空間に、シングルベッドと学習机と本棚がぎゅうぎゅうに置かれていて、お香で満たされていた。電話では母国語を話していて、意外なほどに低いトーンの声がセクシーだった。彼とは数ヶ月、関係が続いた。

ゼミ内にも数人、ゲイがいた。
留学生に同級生。ある先輩をゲイナイトで見つけてしまい、同級生に「こういう場合って、声かけて良いものなの?」とすぐさまメールしたこともあった。学んでいる分野のおかげか、セクシャルマイノリティを色眼鏡で見る人はおらず、大学生活の後半はのびのびと過ごすことができた。

当時から今でも、私の性自認は「後天的ゲイ」だ。
ゲイになるにもいくつかパターンがある。物心ついたときからゲイというタイプや、一時的にゲイ的な経験を好む人、女性も男性も対象となる人など。私の場合は、女性との交際・性行為が全くできないわけではない。けど、どちらかというと男性とのそれのほうが心地が良い気がする、という感じだ。この辺のことは、また別途書いてみたいと思っている。

勉強の方は、相変わらず落第寸前のままだったが、なんとか留年せずに卒業することができたのはラッキーだったとしか言いようがない。大学4年生から就職活動に励み、といっても3社ほどしか受けなかったが、そこでも運良く、県内大手の小売業社に就職することができた。

大学生活は、本当に濃密だった。
高校生の頃は、進学なんて意味あるのかな、やりたいことなんてないのにと思っていた。私は真面目に勉強していなかったけど、T君やゼミの仲間をはじめ、いろんな人たちに出逢って、影響を受けられたことこそが財産だったんだなと感じている。彼らのおかげで、私の視野は大きく開かれたと思う。


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