城ヒロシ

東京在住会社員ライターの40代ゲイ。notoでの執筆テーマは、ゲイ/LGBTQ+/男ら…

城ヒロシ

東京在住会社員ライターの40代ゲイ。notoでの執筆テーマは、ゲイ/LGBTQ+/男らしさ/ルッキズム/ライフヒストリー。インタビュー大好き。音楽や映画はもっと好き。 いつも深夜に更新してます。感想やメッセージなど残してもらえると嬉しいです。

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  • 中年ゲイができるまで

    40代ゲイ男性の人生を棚卸します。少しずつ更新予定。

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最近の記事

BLドラマみたいな再会と、SNSで見た幸せな姿

大学時代、私はバイトやゲイ活動に注力しながらも、なんとか留年せずに卒業できるほど勉強に励んだ。 そして奇跡的に、「あの会社なら安心だね」と誰からも思われるような地元企業に就職することができた。 大学時代は居酒屋や喫茶店など飲食店のバイトばかりしていた。幼少期の小間使いや、中学時代の先輩達との関係などから学んだ「奉仕の精神」みたいなのが私の基本姿勢みたいなところに染みついてしまい、お客様に気持ち良く過ごしてもらうために働くって、楽しい!と本気で思っていたし、人よりうまくでき

    • ニキビに悩んだゲイが、若い人たちに伝えたいこと

      人生を棚卸しする感覚で、記事を少しずつ更新している。 幼少期から始めて、やっと大学を卒業しそうな時期に突入して、折り返し地点に辿り着いたかなという感じです。 これまで私は、いくつものコンプレックスを抱いて、生きにくさを感じてきました。その大きな要素のひとつに、ニキビ肌というのがあります。今日はそのことについて語りたい。 中学生の頃から始まり、高校でピークを迎えて、30代くらいまで落ち着くことはありませんでした。食事を工夫したり、生活リズムを整えたり、枕カバーを綺麗にしたり

      • たくさんの仲間とゲイに出逢ったゼミ時代

        私が選んだゼミは、大学の中でも個性的な人たちが集まっていた。バイトや飲み会、ゲイ活動に明け暮れていた私はまともに勉強していなかったため、成績が理由で希望していたコースを選択できなくなっていた。なんと、高校が一緒だったT君と2名のみ、そんな状況になってしまった。 しかし、当時の私は全く危機感を抱いていなかった。あー、なんか残念だったな、くらいだった。それで消去法でえらんだゼミに入ったのだけれど、そこが個性的な面々の集まりだった。 音楽家、超イケメンで頭キレキレ、地元の超人気

        • はじめての彼氏はショタコンだった

          大学入学後、いままで出逢ったことのないタイプの人たちとの交流を通して、私は大きな刺激を受けた。それが強ければ強いほど、私の心は頑なになっていったように思える。 その人たちのことを素直に尊敬する気持ちと、 「私だって、あの人のような環境で育っていれば」みたいな気持ちがない交ぜになっていったような感じだったと思う。 もちろん、表には出さない。顔は満面の笑みだし、心の大半は楽しんでいるんだけど、そのほんの一部だけ、どす黒くて密度の高い気持ちがあるみたいな感じ。 それは多分、

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        記事

          大学入学後、私はゲイに愛を求めた

          これまでを振り返りながら、この一連の記事を書き綴って気づいたのは、「高校までは意外とまっすぐに、人並みの人生を歩んでいたかもしれない」ということ。 狭いコミュニティから抜け出し、今までに出逢ったことのない人たちと繋がり、アイデンティティが音を立てながら不安定になりはじめたのが大学時代だったんだと思う。 「あそこに入ればもう安心」と地元では言われているような大学に無事に入学した私は、新入生歓迎会で飲酒を覚えた。酒を飲むと、気持ちが大胆になった。知らない人とも愉快に話すことが

          大学入学後、私はゲイに愛を求めた

          失敗の数だけ成長できる

          転職して数カ月経つけど、まだ勝手がつかみ切れていないなーと思う瞬間が多々ある。今日もあった。へこむー。 でも私はいま、新しい環境で新しいことを学んでいる最中だ。失敗はしょうがない。次にいかせれば大丈夫。無問題。 40代になってもこんな感じです。きっと同じようなおじさんも多いはず。だから、みんな大丈夫。 LINDBERG聴こうかな。

          失敗の数だけ成長できる

          私史上最高にノンケだった高校時代

          思春期に突入した中学生時代。規則正しい寮生活を送っていたにもかかわらず、私の顔面で猛威を振るっていたニキビ。 高校に入学しても、毛穴にため込まれた膿は大きく膨らみ続けていた。肌に刻み込まれた傷の数、深さの分だけ、私の心には陰が落ちていたと思う。 一方で、楽しいことがあれば夢中になれるという性質も持ち合わせていた私は、全寮制で娯楽全般が禁止されたいた中学校を卒業するとともに、もともと好きだった音楽や映画への探究心を大きくしていったのでありました。 音楽は、たとえばフリッパ

          私史上最高にノンケだった高校時代

          男子寮の秘め事と、消せない跡

          私の幼少期は、なんだかんだで平和だったと思う。 何不自由なく暮らせていた。 鬱々としがちな毎日は、中学校から始まる。 私は、親の反対を押し切って私立の全寮制中学校へ進学した。きょうだい3人はみんな通った学校だったため、彼らと共通点を持ちたいという気持ちから志望した。 親が反対したのは、学費がめちゃくちゃ高いからだ。それでも最後には通わせてくれた両親。社会人になったいま考えると、そのありがたさをひしひしと感じる。 中学校でも、基本的にゲイである自覚は持たなかった。しかし、

          男子寮の秘め事と、消せない跡

          私は「予定外の子ども」だった

          沖縄の農村に住む家庭に、私は生まれた。 国家公務員の父と、兼業主婦の母にとっては予定外の子だったらしい。クリスチャンの母からは「あなたは神様から恵まれた子なのよ」とよく言い聞かせられていたけど、だいぶ大人になってからその意味に気づいた。だからといって別に落ち込んだりはしなかった。 きょうだいは、兄、兄、姉、私という構成なので、なるほど、女の子が欲しかったのだなとも理解できるし、予定外に恵まれた子どもながらも、十分に愛情を注いでもらえたと思っている。 よく遊んだのは、年が

          私は「予定外の子ども」だった

          40代男性ゲイ、雑記帳をはじめる

          みなさん、こんばんわ。 城ヒロシ と申します。 40代、ゲイ男性です。 東京在住ですが、新宿二丁目に飲みに行くことはゼロに等しく 大都会の片隅でひっそりと中年ライフを楽しんでいます。 このくらいの年齢になれば、いろんなことを上手くやり過ごせるかと思っていましたが、いまでも些細なことに落ち込んでみたり、自己嫌悪に陥ってしまったりすることもよくあります。 金銭的に余裕が出てきたり、自分のことを把握したりしていくうちに、楽しい時間を創ることも少しずつ上手くなってきましたが、ふ

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