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はじめての彼氏はショタコンだった

大学入学後、いままで出逢ったことのないタイプの人たちとの交流を通して、私は大きな刺激を受けた。それが強ければ強いほど、私の心は頑なになっていったように思える。

その人たちのことを素直に尊敬する気持ちと、

「私だって、あの人のような環境で育っていれば」みたいな気持ちがない交ぜになっていったような感じだったと思う。

もちろん、表には出さない。顔は満面の笑みだし、心の大半は楽しんでいるんだけど、そのほんの一部だけ、どす黒くて密度の高い気持ちがあるみたいな感じ。

それは多分、思春期延長戦で増大した、妙なプライドを養分として育っていたものだと思う。以降しばらく、こんな気持ちと付き合わなければいけないことになる。

見た目に対するコンプレックスも順調に育っていた。
「私には、あの人にはない人間としての良さがある」と、どこかの記事で読んだポジティブな考えは気休めにこそなるけど、鬱屈とした気持ちの根治はできない。

そんな頃、何百回と聞いた曲がある。
大好きなバンド、GREAT3の「SOUL GLOW」だ。

誰一人としてわかり合えない
冷酷かつ無情な世界
それでも愛だけは
悪戦苦闘しても忘れたくない
疑いたくもない

誰 信じ裏切られ信じる
誰 裏切り売られ信じ合って
ズタズタ満身創痍だ
愛が迷路に迷って砕け散りそう
影が薄くなる

精一杯
愛し合って信じ合って
時に泣いたなら
あのメロディ歌おう

この歌詞が心にぶっ刺さりまくっていた。
みんな楽しそうに生きているように見えるのに、私と同じように感じている人がいるんだ、と嬉しくなった。しかもこんなにかっこいい音楽をやる人なのに。

冷酷かつ無情な世界だけど、愛し合って信じ合って、泣いて、同じメロディを口ずさめるような人も存在するんだろうな、きっと。この正直な人がいうからには、きっとそうに違いない。そう感じていたんだと思う。

大学2年くらいになると、自尊心(とくに恋愛について)がズタズタ満身創痍になっていた。それでゲイの掲示板をチェックするようになった。

すぐに付き合ってくれる人が見つかった。
15才ほど年上の、大柄で優しい男性だった。彼の車で、いろんなところに連れて行ってもらった。週末は、酒を買い込んでホテルで一晩を明かした。彼に時間とお金を費やしてもらえることで、私の自尊心は満たされていたと思う。

彼はショタコンの気がある人だということが、後々わかった。当時の私は、中肉中背の少年体型といったところだった。なるほど、私は、彼が手を出そうとしても出せない少年達の代わりだったのかもしれない。

そのうち、彼は私と同じ大学の学生にも手を出していることが判明した。その頃には、お互いに相手だけでは満たされないよね、みたいな暗黙の了解があったので、別に驚きはしなかった。なんなら、3人でドライブみたいなこともしたことがある。あれはなんだったんだろう。

こんな感じで、当時の私はどうかしていた。
あれはなんだったんだろう、ということがたくさんあった。それを細かに書き綴っていると進まないので、ここでは割愛しよう。

とにかく、ニキビのために自信が持てず、絶望していた私は、ゲイという道なら求めている愛情が手に入る(かもしれない)という経験をしたのであった。



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