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私史上最高にノンケだった高校時代

思春期に突入した中学生時代。規則正しい寮生活を送っていたにもかかわらず、私の顔面で猛威を振るっていたニキビ。

高校に入学しても、毛穴にため込まれた膿は大きく膨らみ続けていた。肌に刻み込まれた傷の数、深さの分だけ、私の心には陰が落ちていたと思う。

一方で、楽しいことがあれば夢中になれるという性質も持ち合わせていた私は、全寮制で娯楽全般が禁止されたいた中学校を卒業するとともに、もともと好きだった音楽や映画への探究心を大きくしていったのでありました。

音楽は、たとえばフリッパーズギター、Cornelius a.k.a 小山田圭吾。たぶん、情報ソースは背伸びしてたまに買っていた『POPEYE』(マガジンハウス)とかなんだと思う。いわゆる「渋谷系」っつーものが遠く離れた東京ではやっているらしい、という情報を入手していた。pizzicato fiveやら、ラブ・タンバリンズ、オリジナル・ラブなどにも触れていたんじゃないかな。

あとはSING LIKE TALKINGも聴き始めていたと思う。フジテレビ系「なるほど!ザ・ワールド」を見ていると流れる、宝酒造のCMソングに使用されていた曲(多分「RISE」とか「HOLD ON」とか)にしびれてフォローしていた。

あとは、LINDBERGも大好きだった。
渡瀬マキの一人称「うち」をコピーするくらい大好きだった。

当時はもちろん、サブスクなんてなかった。だから、好きなアーティストの新譜が出たときにはCDを購入するか、レンタルショップで借りるしかなかった。私は金がなかったので後者で、親に車を出してもらって隣町のローカルレンタルショップ「田園書房( a.k.a DENEN)」まで連れて行ってもらっていたな…。

CDを借りるためには隣町まで行かなきゃならなかったけど、ビデオレンタルは徒歩10分くらいの場所にあった。高校生になって、レンタルショップには週1ペースで通っていたと思う。

影響を受けた作品はたくさんあるけど、特にインパクトが大きかったのはダニー・ボイル監督作品で、ユアン・マクレガーの出世作『トレインスポッティング』だ。

たしか『HOT-DOG press』の小さな記事で見つけて、「すごいかっこいい映画が東京ではやっているらしい!」と興奮して、当時国際通りにあった店でトレインスポッティングのポスターを購入して木製パネルに貼り付けてもらってバスで持ち帰ったくらい夢中になっていた。映画まだ見ていないのに(笑)。

帰りのバスに乗る前に、パネルを小脇に抱えている姿を、高校のおしゃれな同級生に目撃されて恥ずかしくなってしまったのを覚えている。

私が通っていた高校は、公立の進学校だった。理数科、英文科、普通科があったが、私はもちろん普通科に進学した。

入学直後に行われた実力テストでは、なんと2位をマークした。大学受験に向けて闘志を燃やす人たちからは「私立中学から進学した、普通科のやつが2位になったらしい」と一瞬だけ話題になったっぽいが、私は前述したエンタメに夢中になってしまった結果、綺麗な放物線を描きながら成績は落ちていった。

進学直後にできた友人に紹介された女の子と、よく遊んでいた。彼女のかわいらしい容姿と、さっぱりした性格に惹かれていたんだと思う。同じ部活だったので、放課後に部室で2人きりになってだべったりしたこともあった。彼女も音楽好きで、彼女の好きなバンドのライブチケットを購入するために夜通しでチケット販売窓口に並んだりした。当時はインターネットが普及していなかったのだ。

たぶん、私が勇気を出して告白していたら、お付き合いできるような距離感だった。でも、ぐずぐずしていたのでサッカー部の人気者にかっさらわれてしまった。

こんな感じで、当時は自分が完全なゲイになるなんて思っていなかった。告白の勇気が出せなかったのは、顔面にはびこる忌々しいニキビのせいだった。…もしかすると、この意気地のなさは持って生まれたものかもしれない。たとえつるつるの肌に生まれていても、同じ結果だったかもしれない。

高校の3年間は勉強に明け暮れながら、音楽や映画もそれなりに楽しんで、恋愛のドキドキ感も味わっていたと思う。なんやかんやで充実していたのかもしれない。

そして私は、激動の大学生活に突入するのであった…。


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