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20代後半、考え無しに上京を決意する

社会人になってしばらくは、地元で働いた。たまに出張に行くこともあったのだけど、その回数を重ねるにつれ、沖縄の外での生活に憧れを抱くようになってしまった。

大きな夢を抱かず、たいした目標も立てず、その場のノリだけで生きてきたようなところがある私は、沖縄の外に出ることなんて考えてもいなかった。私にとって、内地(沖縄県人にとっての日本本土)は全くの別世界。テレビ番組でタレントが流行りのスポットについて語るのを目にしても、全く自分には関係のない世界に感じられた。画面の向こう側で、楽しそうにやってるけど、自分にはたどり着けない場所。そんな感じだったと思う。

出張で福岡に行ったことを覚えている。
沖縄とは段違いの人の多さ。売場に立てば、高価格の商品がポンポン売れていく。同じ小売業でも、違う商売と思えるほどだった。

東京の研修で、内地で働く同じ職種の人たちと知り合った。「東京の人は冷たい」と聞いていたけど、みんな親切だった。研修が終わってしばらくは、LINEで連絡を取り合う仲にまでなった。

東京は、カルチャーとの接点が沖縄とは桁違いに思えた。当時「ミニシアター系」の映画が好きだと思い込んでいたのだけど、当時の沖縄でそのような作品を劇場で鑑賞するのはかなり難しかった。

ライブだってそうだ。私の大好きなGREAT3は沖縄になんて来てくれない。でも東京では、ライブハウスやホールなど、大小いろんなステージで、いろんなアーティストが毎日のようにライブしている。

あとは展覧会の数にも驚いた。ヤン・シュヴァンクマイエルの展示を、大きな美術館でやるんだぜ、と。なんて幸せな場所なんだ。

出張のたびに、ライブハウスや美術館に行っていた。そして次第に、この場所に住みたいと思うようになった。

東京に移住するなら、仕事はどうするのか。
もともと映画や音楽、デザインや広告に興味を持っていた私。そうだ、グラフィックデザイナーになって、CDジャケットやフライヤーを作る人になろう!と決心した。本当に、何にも考えていなかった。

勢いづいた私は、引っ越し費用を借金した。
社会人になってから、先輩に作れと言われて作ったカードのキャッシング枠を使ったのだ。お金を借りるのには慣れていた。今まで申し込んだことのない金額数十万を借りた。当時27歳。いろんな意味でどうかしていたんだと思う。

グラフィックデザイナーになるため、上京してキャリアスクールに通おうと思った。お金はないし、仕事もない。まずはお金を貯めようと画策し、派遣会社に入社した。

職が見つかったら、住む場所も契約できた。最寄り駅から徒歩15分、隣の敷地は墓だらけ、6畳ロフト付き4万円。沖縄の部屋に比べると、かなり狭かった。だけど、東京に住んでグラフィックデザイナーという新たな「夢」に向かって邁進できるんだということが嬉しかった。そして、「画面の向こう側の世界」で暮らせる自分を誇らしいとさえ感じていた。

そうして、東京での新たな暮らしが始まった。



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