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殺し

 今日、人を殺した。殺さざるをえなかったからだ。殺さなくてもいいと思えたならよかったが、殺さなくてはいけないと感じ、殺すべきだと考えた。殺されてしかるべき人間だったのかといわれれば、うまく答えられない。殺さずにいようと思えば殺さなくてすんだのかといえば、やはり殺してしまいかねなかったという気がする。どうやったって、殺すという行為に夢中にさせるような何かが存在し、緊迫したなかでも、できるだけうまく殺そうと工夫をこらすことに向かわせる状況があった。殺されるほうは、殺されるということを自覚して防御する動きを見せ、反対に殺し返そうと工夫をこらした。しかし、はじめに殺そうとしたほうが、殺し終わるまではいかないまでも、殺し半分の場面で、殺されようとしているほうは一瞬、あきらめたかのような隙を見せたので、逆に殺そうとしているほうの動揺を誘うことになったあげく、結局は殺し返すことができず、半分以上を過ぎた。はじめに殺そうとしたほうは、半分以上殺しかけた時点で、今日、人を殺した、とあとあと語らねばならないのだと頭をよぎってうんざりしたし、殺さざるをえなかったのだという思いがすでに過去形になって登場し、その思いのなかでさらなる殺しを遂行しようとしたにもかかわらず、自分が殺そうとしているほうなのか、殺されようとしているほうなのか混乱し、もし殺されようとしているのなら、殺されてしかるべきかどうか検討してみたけれど、答えは殺すことでしか得られないのだと判断した。殺されたあとでは、殺されてしかるべきだったのかどうか、検討の余地もない、だから殺すしかない、つまり、殺すことでしか殺すことの意味や理由や価値がわからないのだから、最後まで殺しきるしかないのだという思いを抱きながら殺されるほうは殺され、殺すほうは、そんな思いもろとも葬り去るべく殺し、最後の瞬間、本当に人を殺したのかどうか、殺したのだとしたら殺されたのはどちらだったのか疑問を抱いた。

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