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意味がないことの価値

私は今とても疲れている。
だからなのか、
今までとは違う選択をしてみた。

「そんなことやってなんの意味があるの?」


よく心の中で聞こえてきた声。
行動の選択基準は意味があるか、ないか。

結果や正解、成功というのを得るために。
それが見えないものは「意味がない」からやらない。

時間の無駄。


でも実は逆なのかもしれない。

意味があるかどうかは今はわからないけど、
やってみた先に見えるものも必ずある。

それが短期的に見れば欲しいものではないのかもしれない。
しかし、長期的にみたら、実は大事なものと繋がっていたりもする。

たとえ繋がっていなくても、何かしらのリソースにはなっている。はず。

こんなに変化の激しい予測不可能と言われる世の中で、
なぜ簡単に正解、不正解が分かるのだろう。

そもそも正解って何?

その「正解」や「意味」を求めると
すごく疲れる。

目的や生産性や効率を意識する生き方って、
実は幸福感を著しく奪っていて

一見何の意味があるのかよく分からないけど、
やってみたいという思いに従った方
幸福感や充足感にとっては重要だったりするのかもしれない。



私にとって、このnoteがそれだったりする。
何かに繋げようとするとしんどいけど、
何かに繋がらなくてもいいし、
繋がるなら、何に繋がるんだろう?ワクワクという気持ちでやっている。


疲れている時って限りあるエネルギーをどう使うかを冷静に見極めることができる。

元気な時はとにかく動き回って、戦場に果敢に繰り出し、
戦術をヒイヒイ言いながら考え、止まったら何か重要なものを失ってしまうとばかりに自分を奮い立たせて頑張る。


まあ、でも落ち着いてみよう。
「重要な何か」より「自分」を失うことの方がダメージは大きい。
疲れた。
それに気づこう。

立ち止まっていい。

「もっとやれる」「もっと頑張れ」は自滅しか招かない。
そういう人に限って十分頑張ってる。

だから、やることではなく、
やめることに目を向ける。

しかし、くれぐれも
意味がなさそうという理由でやめない。

意味がある、ないってすぐには分からないし、
意味の価値って自分でつけるものだから。


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