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鉄道とBRTでつなぐ、春の三陸海岸 ⑤5日目(八戸→鹿島)

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【14】雪残る帰り道 本八戸→盛岡

朝の本八戸駅前
八戸駅の運賃表。「青森」の文字に未練たらたら

 2022年3月30日、水曜日。今日も薄暗いうちに目が覚めてしまったので、課題をこなしたり、ニュースを見たりして時間をつぶした。地方局のニュースは関東だと取り上げられないこともたくさんあるので、見ていて面白い。
 ホテルを後にし、本八戸駅に向かって歩く。昨日は暗くてわかりにくかったが、やはり高い建物が多く、車も頻繁に走っていく。さすがは南部一の街なだけはある。江戸時代の八戸は城下町として発展したところで、市役所や駅の周辺は城の跡だ。その時代の面影がところどころに残っていて、地名にもそれが表れている。歴史探訪をするのも面白そうだ。
 8時31分、八戸線の上り列車で出発。しばらくは市街地らしく住宅の多い車窓が続くが、長苗代駅あたりで貨物線が合流してきて、八戸駅に近づくと今度は大きな貨物ターミナルが姿を現す。八戸は東北有数の重要な港であり、そこを起点に工業都市として発展してきた。
 8時42分に八戸駅に到着。立ち食いそばのスタンドがまだ開いていなかったので、駅をうろついてみる。本八戸駅と比べると、駅前のにぎわいはそこまででもなく静かだ。とはいえ、新幹線が止まる駅とあってやはり規模は大きく、立派な駅ビルが建っている。東北新幹線が八戸駅まで延伸されたのは2002年12月。2010年の新青森駅延伸までは在来線との乗換駅としてにぎわい、コンコースにはそのころの面影がわずかに残っている。
 久しぶりに駅のそばをすすってエネルギーを補給したところで、きっぷを買う。盛岡駅までは3110円だ。あと110km北へ行けば県都・青森だが、今回は時間とお金にそこまでの余裕がないので、後ろ髪を引かれる思いで南に進む。今日はひたすら東北本線を上り、祖父母の家がある鹿島まで帰る予定だ。

八戸線、IGRいわて銀河鉄道線、大湊線の3列車が並んだ
奥中山高原駅。駅の裏手には雪が積もったままだ

 長い貨物列車がゆっくりと通過していって、後を追うように9時30分、盛岡行きの普通電車も発車。あっという間に八戸の街が遠ざかっていき、車窓には田畑が広がる。八戸駅の5つ隣の駅、三戸が青森県内最後の街になるが、三戸駅は三戸町に属しておらず、南部町にあるという小ネタも存在する。
 目時駅のすぐ先で岩手県に再び入った。東北本線の盛岡駅以北は、新幹線の延伸に伴って第三セクターに移管されており、目時駅を境に岩手県側がIGRいわて銀河鉄道、青森県側が青い森鉄道の管理になっている。JR時代から変わらず設備は立派なので普通列車もかなりスピードを出すことができ、たびたび貨物列車ともすれ違う。今も物流の大動脈となっているのだ。
 二戸、一戸と「○戸」シリーズが続き、この辺りで乗客が増えてきた。秘境駅と呼ばれる小繋駅、リゾート地の最寄りであり雪がまだ残る奥中山高原駅などを過ぎて、いわて沼宮内駅より先では立ち客も出はじめるほどになった。有名な詩人、石川啄木の出身である渋民駅、村から市に飛び級昇格をした滝沢駅などでも乗客が増えて、巣子駅からは東北新幹線と並走する。ここまで来たら、盛岡ももうすぐだ。

【15】満員電車に揺られて 盛岡→一ノ関

盛岡駅。県都らしい立派な駅だ
新幹線改札前には、秋田新幹線25周年を記念した展示が

 11時18分、盛岡駅に到着。盛岡市は説明するまでもなく岩手県最大の都市であり、人口はおよそ28万人。また、東北本線に加えて秋田方面へ向かう田沢湖線、宮古方面へ向かう山田線が乗り入れる交通の要衝で、だだっ広い構内がそれを物語っている。
 せっかくの大きな街だから少し時間を使いたいが、ここにきてスケジュールに難点が見つかった。1日目でも書いたが、この旅を始めるわずか1週間前に東北地方では強い地震があり、交通網も打撃を受けた。今日最後に乗る予定の常磐線もその一つで、臨時ダイヤで走っていたのだが、「どこトレ」という運行情報サイトを確認してみると、いつもは原ノ町行きの列車が新地行きに変わり、逆に新地行きが原ノ町行きになるという変更が反映されていないようだった。もしJRから出ているプレスリリースを頼りにのんびり仙台まで向かい、原ノ町行きに逃げられたとなれば、仙台で無駄に1時間待たされる羽目になるので、それはできるだけ避けたいのだ。
 電話での問い合わせも出来なさそうだったので、かくなるうえは窓口で直接聞くしかないか、と思ったが、そもそも仙台でのことを盛岡で聞いたところで大丈夫なのだろうか。

盛岡駅で食べた天ぷらそば。やはり駅そばは定期的に食べたいものだ
北上川にかかる開運橋。「二度泣き橋」ともいうらしい

 結論から言えば、水戸支社から出ている時刻表が正しいとのことで、盛岡で列車を一本やり過ごしても大丈夫だということが分かった。盛岡駅の窓口氏は丁寧に応対して下さって、非常に助かった。感謝感謝である。
 余裕ができたとわかればのんびりするのみである。駅のそばスタンドでそばをすすり、駅前に繰り出す。近くには北上川が流れていて、その向こう側に盛岡の市街地があるのだが、その間にかかっているのが開運橋だ。1890年の盛岡駅開業に合わせて当時の岩手県知事が私費でかけたのが始まりだそうで、街の象徴ともいえる存在である。「二度泣き橋」という別名もあって、東京から転勤してきて泣きながら駅から渡り、盛岡を去るときになってまた泣きながら駅へ渡る、というのが由来なのだそう。
 運が良ければ橋から岩手山が見えるらしいが、僕が北に目を向けなかったからなのか、それとも曇っていたのか、岩手山を認識することはなかった。
 アーケード街にあるゲームセンターに足を運んで、すぐに駅に戻ってきた。もっと時間が欲しかったが仕方がない。あらかじめ買っておいた東京都区内までのきっぷを改札に通して、すでに止まっている一ノ関行きの普通電車に乗り込む。2両しか繋いでいないワンマン列車だが乗車率はなかなかのもので、もう席は埋まっていて座れなかった。
 12時49分、盛岡駅を出発。雫石川をゆっくりと渡って、すぐに次の仙北町駅に着き、そこからは東北新幹線と並んでいく。地図を見るとこの区間はきれいな直線が断続的ながらも続いていて、列車も結構速く走る。
 矢幅、古舘、紫波中央、日詰と盛岡近郊の乗り降りの多い駅が続いて、盛岡駅から30分ほどの花巻駅で一気に乗客が減った。人口は県下第5位の花巻市は宮沢賢治の出身地であり、わんこそばや花巻12湯などが有名な、観光名所にあふれているところだ。そして花巻駅の2つ先が北上駅で、さらに客が降りていく。北上市はというと人口は県内第4位、こちらは工業が盛んである。
 水沢、というのはなんとなくだが僕が気に入っている地名だ。なにより響きがよい。個人的には声に出して読みたい地名の筆頭候補なのだが、どうだろうか。ちなみに、平安時代初期の朝廷による蝦夷攻略の戦いの舞台にもなっており、歴史ネタも多い。同じ奥州市内の旧前沢町はブランド牛が名産で、これも以前どこかで聞いた記憶があった。
 一ノ関駅の2つ手前が平泉駅。かつて東北地方を治めていた奥州藤原氏が本拠地とした場所で、有名な中尊寺をはじめ、数多くの歴史遺産が残されている。2011年にはいくつかが世界文化遺産にも登録されており、注目を集めている観光地だ。

【16】近づく見慣れた景色 一ノ関→鹿島

一ノ関駅
改札前から構内を見る。貨物列車が駆け抜けていった

 14時14分に一ノ関駅着。岩手県の最南端に位置する一関市は城下町として古くから栄えた。現在は県内人口第3位、面積は非常に広大で、当駅から分かれている大船渡線は、気仙沼駅の一つ手前である新月駅まですべて市内に入っている。
 外に出て駅舎を見てみると大きく「一関温泉郷」と書かれていて、実際に駅から西の湯沢方面に向かうと、7つの温泉がある。
 14時41分、小牛田行きの普通列車で南下を再開する。有壁駅付近で一瞬だけ宮城県に足を踏み入れるがそのあとまた岩手県に戻り、石越駅からが本格的に宮城県内となる。石越駅は「くりでん」の愛称で親しまれたくりはら田園鉄道がかつて乗り入れていて、鉱山のある細倉までを結んでいた。2007年に「くりでん」は廃止されたが、駅の跡らしき空間は今も残っており、また本社のあった若柳駅では車両が保存されている。ちなみに、東日本大震災で最大震度の7を観測したのは、石越駅と瀬峰駅がある栗原市だった。
 15時27分に小牛田駅に到着。陸羽東線と石巻線が分かれる鉄道の街だ。残念ながらここでは乗り換え時間が6分しかなく、すぐに仙台行きに乗り継がねばならなかった。とはいえ久しぶりに見る「仙台」の名前、やっとここまで来たか、という感じである。
 3つ目の品井沼駅からはルートが変わった区間で、1890年に開業した時の東北本線は現在よりも少し山側に寄っていた。しかし急勾配を避けるために1944年に海寄りを通る新ルートがつくられ、1962年に山側の旧ルートは廃止されたが、一部区間が、岩切駅から利府駅まで4kmほどの短い支線として残っている。

松島駅
仙台の車両基地

 松島駅を過ぎると、先日乗った仙石線と並走する。わずかながら松島湾が見えるところもあり、東北本線では珍しい海辺の区間だ。塩釜駅以南は3年前に乗ったので、これで東北本線も全線完乗となった。
 岩切駅で先程述べた利府駅までの支線が合流。東仙台駅を過ぎると車両基地があって、偶然にも新潟から出張していたE653系電車がいた。そして向こうから仙山線の線路が合流してくると、16時19分、杜の都・仙台に到着だ。八戸から7時間弱、距離にしておよそ280km。ここまで来れば、もう僕には見慣れた景色だ。16時35分の原ノ町行きに乗り継いで、一路鹿島を目指す。
 岩沼駅から常磐線に入り、阿武隈川の長い鉄橋をいつものように渡っていく。空はすっかり夕方モードで、夕日が川面に反射してまぶしい。仙台を出た時点ではそこそこ混んでいた列車からは、逢隈、亘理、山下とぽつぽつ乗客が降りていった。新地駅では7分間停車し、その間にはるばる品川からやってきた「ひたち」が通過していった。いつの間にかここは福島県だ。

鹿島駅。すっかり日は暮れた

 18時09分、薄暗くなった鹿島駅に降り立った。長い道のりをきた僕をいたわるかのように、駅舎の灯りがともっている。
 今日と明日は祖父母宅でのんびりするつもりだ。しっかり体をやすめて、2日後の帰京に備えたい。まだ行きたい場所は残っている。

ー次回(最終回)に続くー


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