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金継ぎ ―傷あとから生まれる景色

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この記事はフランス語圏向けウェブマガジン「Japan Stories」に寄稿した記事の日本語原文を再掲載したものです。

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日本の食卓はにぎやかだ。
会話や食器が触れあう音にもまして、にぎやかなのはその見た目だ。

陶器の茶碗、漆の汁椀、ガラスのコップ、磁器の皿、木製の箸――。素材や色の異なる食器がずらりと並ぶ。大きさもさまざまだ。日本の食卓では、家族一人ひとりが専用の器をもつ。「これはおじいちゃんの湯呑み」「これはお母さんの茶碗」というふうに、それぞれ所有者が決まっている。

器は直接手に持ったり口をつけたりして使う。だから一人ひとりの体の大きさに合ったものが望ましい。それぞれが自分専用の器をもち、何年もそれを使い続ける。

そんなふうに日本の人々は器を大切に扱ってきた。器が割れてしまっても、捨てずになんとか使い続ける術を編み出してきた。そのひとつに金継ぎがある。

金継ぎとは、割れた器を漆で継ぐ日本古来の修復技法だ。割れたり欠けたりした部分を漆でつなぎ、その痕に金粉を施す。傷をなかったことにするのではなく、壊れたことも大切な歴史と捉え、美しさを見出す。

金継ぎは茶の湯の文化のなかで育まれてきた。

茶の湯には、不足の美や不完全の美という考え方がある。完全な物事などないということを、畏敬の念をもって受け入れるという考えだ。当時の茶人たちは、器が壊れることを自然なこととして受け入れ、継ぐことによって新たな調和を生み出した。

金継ぎの接着剤となる漆は、ウルシ科の木から採取した樹液だ。カフェオレのような色をしていて、へらで少し混ぜるとミルクチョコレートのような色になる。さらに練り上げていくうちに、ダークチョコレートのような深い色へと変化していく。

あたりには甘ったるいウッディな香りが漂う。体温が乗ったような不思議な香り。聞けばこれが漆の香りだという。どこかで嗅いだことのある香りだと思った。記憶のなかを探しまわり、思い当たったのが新生児の匂いだった。生まれたばかりの赤ん坊の、胎脂と母乳が混ざったような何とも表現しがたい匂い。木の命脈である樹液は、人間の体でいうと血液のようなものだ。一方の母乳も、母親の血液からできている。漆の香りと赤子の匂いが似ているのは、あながち偶然ではないのかもしれない。

ダークチョコレート色の漆液に、ベンガラという赤い顔料を混ぜる。漆が濃いラズベリーのような、血痕のような色に変わっていく。細い筆にとり、器のひび割れをなぞる。一筆ずつ漆を運び、慎重に傷口を覆っていく。静かに傷と向き合う時間。器を手にしながら、我が子をはじめて抱いたときのことを思い出した。あの繊細で壊れそうな新生児の感触。そして出産後の我が身を、傷だらけでがらんどうの器のように感じたことを思い返した。

傷口を完全に覆ったら、いよいよ金粉をのせていく。

やわらかい真綿に金粉を含ませる。ふわりと傷口にのせ、傷痕をやさしく磨く。金粉の粉っぽい質感が徐々につやを帯びていく。室内の明かりを受け、やわらかく光る。

完成した器は一週間かけてゆっくり乾燥させる。傷が治癒するには時間がかかる。治癒したところで元通りになるわけではない。それでもいい、と思う。

壊れることには傷がともなう。しかしそこから新たな景色が見えてくる。傷つくたび、自分自身を彩る表情が増えていく。見える世界も広がっていく。

自分の痛みを知ることは、他者の痛みを知ることだ。目の前で笑っている大切な人が、奥で抱えているかもしれない苦しみに気づくこと。これから大切になるかもしれない人の痛みを敏感に察し、ひととき思いを馳せること。

新たに命をつないだ器に、なにを入れようか。

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