【SS】noteと恋愛(3475文字)
俺は今、20歳にもなって初めて本気の恋をしている。
それも、noteというプラットフォーム上の、顔も分からない女性に対して。
彼女の名前は「空蝉」。
もちろん本名じゃないだろうけど。
プロフィール画像は暗がりで撮られた後ろ姿の写真で、分かるのは髪の長い女性(おそらく)だということだけ。
外見なんてどうでもいいのだ。
プロフィール欄には一言「自分のための物語です。」と書いてある。
性別も、年齢も分からない。
でも、彼女の書く物語――それは時に繊細で、時に激しく、時に不思議だ――に出会って以来、彼女のことが頭から離れない。
noteとはすばらしくも恐ろしい場所だ。
Twitterには140文字という文字制限があるのに対して、noteの表現には制限が無い。無限に広がる。
自分が読んだ文字数が多くなればなるほど、ただの一読者に過ぎないのに、書き手の内面まで深く知ったような気になってしまう。
空蝉さんの書く物語の主人公は若い女性であったり、子どもであったり、男子学生であったり、おじさんであったりする。
心理描画がとてもリアルで、これだけ色々なひとの気持ちが分かるのだから、周りの人への共感力が高いのだろう。
それとも、類まれな観察眼を持っているのだろうか。
物語の深みがそのまま空蝉さんという人間の深みである気がして、気づけば彼女に惹かれていた。
空蝉さんの作品を読んで、コメントを残す。
彼女の琴線に触れるような言葉選びを、脳内の数少ないボキャブラリーから必死に探し出す。たまに諦めてググる。
通り一遍のコメントになってしまわぬよう、丁寧に作品を読み込み、最大級の誉め言葉と一緒に自分なりの解釈を提示する。
空蝉さんはとても丁寧な人で、俺のコメントにも、ほかの人のコメントにも逐一返信をくれた。
そのうち俺のくだらない投稿にも反応をくれるようになった。
彼女からのコメントの通知がくるたび、小躍りしたい気分で自分の部屋に駆け込んだ。
都内の大学に通い実家暮らしをしている俺は、家族とリビングで過ごすことも多い。
でも、彼女からのコメントを読む瞬間だけは誰にも邪魔されたくない。
急に立ち上がって自分の部屋に戻る息子を不思議な顔で見るおかんが、(難しい年ごろだものね)と思っているか、(男の子だものね)と思っているかは定かではない。
できれば前者であってほしいとは思う。
***
空蝉さんとのコメント欄での交流が始まってからはや2か月。
俺は一大決心をした。
(空蝉さんを、デートに誘う!)
互いの文章を読み合い、感想を伝え合うことを続けてきたふたりの関係性はもはや、直接会って語り合ってもいいレベルなのではないか。
少なくとも、歴代の彼女たちと交わしていた薄っぺらいLINEのやりとりよりは、深い会話をしてきたと自負している。
パソコンからnoteにログインして、空蝉さんのページを一番下までスクロールする。
目を細めないと見えないような小さな字で表示されている「クリエーターへのお問い合わせ」をクリックする。
不純すぎる使い方だ。
だが、デートの可否を問い合わせるのだから、これはれっきとした「お問い合わせ」なのだと自分に言い聞かせ、昨晩から考え抜いたメッセージを打ち込む。
【空蝉さんこんにちは。ハットリです。突然メッセージを送ってしまいすみません。空蝉さんをフォローさせてもらってから、素敵な作品にたくさん出会えて、コメント欄でも色々お話できてとても楽しかったです。もしよろしければ、俺と会ってもらえませんか。もっと空蝉さんとお話してみたいと思って、一大決心で送ってます。怖がらせてしまったら申し訳ないです。無視してください。】
くどいだろうか。きもいだろうか。
それなりに恋愛経験は積んできたはずなのに、noteでの口説き方なんてまったく分からない。
だが、勢いで送った。送ってしまった。
心臓をバクバクいわせていると、思いのほかすぐに返事が来た。
【ハットリさん、メッセージをいただきありがとうございます。そんなに面白い人間ではありませんが、それでもよろしければどこかでお茶でもいかがでしょう。私もハットリさんとお話してみたいと思っていました。】
「……っしゃあ!」
信じられない。玉砕覚悟で誘ったが、まさかのOKが出た。
【ありがとうございます!めっちゃ嬉しいです。お住まい東京ですよね。渋谷とかどうですか。いいかんじの落ち着いたカフェ知ってるんで。】
こんな流れで、空蝉さんとのデートが決まった。
***
デート当日。
朝からそわそわしている俺を見ておかんが何やらにやついていた気もするが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
指定したカフェに現地集合することになっている。
14時の待ち合わせ。その15分前には店についてしまった。
空蝉さんにメッセージを送る。
【こんにちは。楽しみすぎてもう着いちゃいました!先に中に入ってます。奥の方の席なんで、着いたらハットリで予約してるって店員さんに伝えてください。急かしてるわけじゃないので、ゆっくり来てくださいね。】
すぐに返事が来る。
レスポンスの早いひとだ。
【私ももうすぐ着きます。服部さんって本名なんですね。】
たしかにnoteでも本名を使っている。
深く考えたこともなかった。
漢字は実は八鳥だが、あえて訂正するほどのことでもない。
しばらくして店員さんの後ろから現れたのは、俺の想像より数倍は美しい女性だった。
***
「愚問かもしれないんですが、空蝉さんはなんで小説を書くんですか?」
「生きるためかな。物語を書くことは、私が生きていくためには必要なことなの。だから、周りで起こるすべてのことは私の栄養になる。」
目の前に座る空蝉さんは妖艶に微笑みながら答える。
分かるようで分からない。
ただ、彼女がそういうのならば、小説を書くすべての人類の目的は生きるためであるという気がしてくる。
「そういう服部くんは?なぜ日記を書いているの?」
いつの間にかくん付けで呼ばれていることに内心喜びを覚える。
多分彼女の頭の中ではもう、俺はハットリではなく服部だ。
「俺は…空蝉さんみたいに素敵な物語は書けないですけど、書くことで何かを発散してるんだと思います。感情が高まって人や物に当たりたくなる時でも、文章にすればおさまるから。傷つけなくて済む。」
「自分の感情をコントロールする方法を身に着けているのはすごいことね。でも、文章だって人を殺すこともあるのよ。服部くんの書く文章は優しいから、そんなことはないだろうけれど。」
俺の文章が優しいはずがない。
俺には空蝉さんみたいに人を喜ばせる文章は書けない。
愚痴とか鬱憤とか、そういったものの捌け口としてnoteを使っている。
そんな俺を包み込んでくれる――誰も見ない俺のページに足を運んでくれる――空蝉さんへの愛しさが抑えきれなくなって、ついテーブルに置かれた彼女の手を握った。
「好きです。初対面でこんなこというのおかしいかもしれないんですけど、俺と付き合ってもらえませんか。」
「…ありがとう。でもごめんなさい。服部くんはとても魅力的だけれど、私、もうすぐ結婚するの。」
分かっていた。左手の薬指に輝く大きなダイヤモンド。
きっとこの人は初めから俺の気持ちを知っていて、それでも来てくれたんだ。
「…そうだったんですね。おめでとうございます!」
「じゃあ、結婚しちゃう前に、一回だけでも俺と寝てくれませんか!?」
おちゃらけて言う。
セックスしか頭にないような頭が空っぽの男子大学生を装って、傷ついてなどいないのだと必死でアピールする。
「そんなこと言ったら、小説のネタにしちゃうよ?」
すべてを見透かした顔で優しく答える空蝉さんはやっぱり、あまりにも魅力的だった。
最初に「空蝉」という名前を見たとき、真っ先に『源氏物語』が頭に浮かんだ。
光源氏の最初の浮気相手、空蝉。
彼女は芯の強い女性で、一度だけ光源氏と関係を持った後は、彼をずっと拒み続けた。
(俺は、一回すらもダメだったな。)
自分を超絶美男子の光源氏と比べるなんておこがましいけど。
握り続けていた空蝉さんの手を、振りほどかれなかったことに感謝しながらそっと放した。
「変なこと言ってすみませんでした。どうぞネタにしてください。」
ネタにされてもいい。
むしろしてほしい。
俺が彼女が生きていくための養分となれるならば、それだけで幸せだと思える。
こんなつまらない男の話、スキもコメントも貰えないだろうけど。
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