『腹が立ったら怒りなさい』〜状況を改善する怒り方

読んで感じたこと

「腹が立ったら怒って良い」そんな世の中を支持したい。怒ることをなぜ「いけない」と思いこんでいたのか。それがわかって、怒りとは本来「状況を改善するエネルギーとなるもの」なのだと知った。

これからは不満があったら積極的に怒っていきたい。怒るとは言っても、このあとで書くように「感情的になる」わけでも「人を不愉快にさせる」わけでもない。ただ、怒ることで相手も自分も成長できる・居心地が良くなる、そのために積極的に怒っていこう。

「腹が立ったら怒りなさい」を借りた理由

私は文句を言ったり人に怒ったりすることが苦手なたちだ。

つい先日、ずっと行っていなかった地元のある居酒屋へ行った。なぜずっと行っていなかったかと言うと、私はそこへ行くと高確率で泥酔してしまい、店や常連さんに迷惑を掛けたこともしばしば。そんなだから、そこには私をよく思っていない人が複数名いると思われ、私にとってそこは敷居が高かった。

けれど精神的に弱っている時、寂しい時、なぜかその店に引き寄せられてしまう。それでつい先日、また行って、また泥酔した。

正直、かなり泥酔していたため何を喋ったのか覚えていないのだけれど、とある人に元カレとの出来事の経緯などをすごいまくし立ててしまった記憶がうっすらとある。実際にはそんなにひどい話はしていないかもしれないし、そんな事はわからないのだけれど、口が軽くなって思っている事をすべて吐き出してしまったのだと思うと、そんな自分が情けなくてたまらなくなった。

きっと周囲の人は私を「自分のことしか考えていない人間」だと思ったはず、と私は思った。

そして「どうしてこんな風になってしまうのだろう」と考えた。私が初めて大泥酔したのは昨年の3月。その店でだった。それから1年半が経過し、その間に何回、こんな風に酔態を後悔しただろう。

いつも「治さなくては」と思う。その都度向き合っているつもりだった。けれどやはり変わっていない。(いや少しは良くなったはずだけれど)

今回、また泥酔して私がその改善法として思いついたのが「自分の思考をしっかりと管理しよう」という事だった。

酔っている時に出る言葉はたしかに「本音」だったりする。私があの日、まくしたてるように言ってしまった数々の「不満」。私はシラフのとき、自分の中にそこまで不満が溜まっていることに自分で気が付かなかった。

ふだん、私は「こういう風に考えるべきなのだろう」「こういう風に考えることが寛容だろう」「当たり障りがないだろう」という考え方をする。けれどそれは私の望む考え方ではないのだ、きっと。「世間体」や「正しさ」ばかりを求めている。そのことに無自覚だった。だからこうやって酒に酔った時、ふだんの自分とのギャップに頭を痛める。

「こんなはずじゃなかった」と思う。

酔っている時の自分を好きになるために、というと少し違うけれど、もっと「自分の気持」を大切にすれば、自然と、酔っている時にあんな風にまくし立てたりすることはなくなるだろう。

そう思った。そういう理由で、今日、図書館へ行って適当に本棚を見ていたら目に止まったのがこの本だった。

実は読むのは2度目なのだけれど、内容をすこし忘れていたので、今回はここにまとめようと思う。やっぱり忘れたくない考え方は、時々改めて読むことが必要だね。

怒ることはなぜいけないと思うのか

自分だけ残業をさせられたり、侮辱的な事を言われるなど、不当なことをされたら怒って当然のはず。では、なぜ「怒ることはいけない」「怒れば耐え性がない」と思われるのか。

普段怒っている人を見かけると、どう感じるだろうか。「趣味も友達もなく、不満ばかりなんだな」と思うかもしれない。実際著者も八つ当たりばかりする人は「恵まれていないんだろうな」と感じると言う。すると怒る人は「みっともない」という思い込みが出来、そうなりたくないと思うようになる。

ただ、ふだん怒っている人のイメージで想像されるのは「八つ当たりをしている人」なのではなかろうか。確かに八つ当たりされたら、誰しも嫌な気分になるし、そういう事をする人は「迷惑なやつ」と思って当然。けれど、八つ当たりをする人と怒ることはまた違うのだ。

八つ当たりとは、怒りの元となる「不満」を溜め込みすぎた結果、本来怒るべきではない人に対してイチャモンをつけてしまったりする事を言う。

不満を溜め込みすぎると(つまり怒りを我慢しすぎることで)、逆に本来避けようとしていたはずの「怒りっぽい人」になってしまうのだ。

また、怒る人は「ヒステリック」と言われ疎まれるが、怒りとは感情的なもの。それをどのように伝えるかが重要になってくる。

怒ることは環境・状況を改善するきっかけになる

元来、世の中は人々の怒りのもと、その原因となる「不満」の改善をすることで成長してきた。怒りとは上手に扱うことで、状況を改善することができるのだ。

ただ、伝え方や扱い方が重要で、その怒りが八つ当たりになってしまってはいけない。怒りを感じたら、その怒りの対象にだけ冷静に向き合うのだ。

「他にも人はいるのになぜかいつも自分だけ残業させられる」「レストランで出された(本来は温かいはずの)パスタが冷えていた」「事前に休むと言っていたのに、勝手に仕事を入れられた」「侮辱的な言葉をかけられた」

一言、はっきりと言えば状況が改善するかもしれない。

ちゃんと怒る人はちゃんと理解される

この本の中で、私が驚かされた一文がある。それは、

「素直に怒ることが出来るひとは人を信じられる人」

というもの。それはどういう人かと言うと、飲み会の席で飲み物がなくなっていた時に誰かが注いでくれたり「お代わりいる?」と聞いてくれるのを待てる人。

「誰かが自分のために動いてくれる」と思えることは、それだけ人を信じているということ、と書かれていた。

最近、よく見かけた心理学系の本では「人に期待をしすぎないことで気持ちよく過ごせる」「あなたは他人に求めすぎていないか?」というようなものが多かった。それだけにこの一文は衝撃だった。

自分の考えが受け入れられると思えること、他人に甘えられることは良いことである。

そしてそういう人は自分の怒りに正直で、他の人が我慢してしまう事でも声をあげる。そのおかげで改善される事がある。

と、前置きが長くなったけれど「ちゃんと怒る」とは、八つ当たりではなく、真っ当に「目的があって」怒ること。怒る時、目的以外の不満は口に出さない。冷静に、「改善してほしい」とそれだけ思いながら怒る。

芯の通った怒りは相手に伝わるものである。

世の中には人の痛みに鈍感な人がいる

精神的な痛みを我慢して果たして報われるだろうか。

我慢をしたら相手は「悪いことをしたな」とそのうち気がついてくれるのか。

いじめをしている人がいて、それに耐え続けたら「こいつは長く俺のいじめに耐えてくれたな。そろそろ認めてやろう」と相手は思うのだろうか。

世の中には、自分が経験してみないと人の痛みがわからないような想像力のない人間、痛みに鈍感な人間がいる。

例えば、ある医者に痛みを訴えた時「おかしいなぁそんなに痛いはずないんだけどな」と言われてしまったら、「自分は痛みに敏感なのかもしれない。皆このくらいの痛みは当然だと思っているのだろうか」と思ってしまい、解消できるはずの痛みさえ我慢するようになってしまう。

いま抱えている痛みは、果たして耐え続けたことで解消されるのだろうか。怒ることで解消されはしないだろうか。

上手な怒り方

と、ここまで怒ることについてまとめてきたけれど、さて応用編。

先述したように、怒ることが良くないと思われるのは、自分がそれ(と言っても感情的な八つ当たり)をされると不愉快になるから。誰かにとって不愉快な人間にはなりたくない、と思ってしまうことが原因だろう。

しかし相手を嫌な気分にさせるのは、その内容より「相手がムスッ」としている雰囲気であることが多い。

ではどうすれば良いかと言えば、感情的にならず、気楽にすっきりと怒れば良い。

一点だけを追求し、八つ当たりはしないこと

怒って感情的になっていると、次から次へと「今更言っても仕方がないような怒り」がどんどん出てきてしまうけれど、それを全て感情に任せて言うのは「八つ当たり」である。八つ当たりは理不尽なものだから、人を萎縮させたり嫌な気分にさせるだけなので止そう。

また、遠回しに怒らずストレートに怒る。例えば「さっきの言い方なんだけれど、私はともかく人によってはキズつくかもしれないから気を付けたほうが良いと思うよ」という言い方だと、「君だから大丈夫だと思ったんだ」などと言われてしまうかもしれない。そうしたら、相手はまた同じことを言ってきて、こちらが傷つくことになる。

短くぴしっと言えば良い。「その言い方ショックだな」「今の言葉は侮辱的です」もしくは理不尽に対してこの言葉も効果的だと言う。「なぜですか?」なぜ、自分に対してそんな事を言うのか・するのか。

なにも言わないでいると、相手はしめしめと理不尽な言動を繰り返す。怒りが伝われば、変わるかも知れない。

今日の怒りは今日のうちに吐き出してしまうことで、明日を気持ちよく迎えられる。

しっかり怒って、自分にとって居心地の良い世の中をつくろう。

信じたい考えがわかった

この本を読んで良かったな、と思う理由の1つが、「自分の信じたい考え方がわかった」というものがある。最近、自分自信がなにを考えているのかわからなくなっていた。恋人と別れて、そのことをどう解釈しようかとそればかり考えたりしていた。未だに一向にわからないけれど、この本を読んで私はこう感じた。

「腹が立ったら怒って良い。そんな世の中が良い」

自分がなにを思っているのかわからない中で、ひとつでも考え方が見つかったのは嬉しいことだった。

もっと様々な考え方の本を読んで、自分の考え方を見つめたいなと思う。

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