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アイスクリームと脱走者/51


51.「だから」

 波多が「俺の話してなかった?」と責めるように言ったのは、助手席に座ったあとだった。わたしは「さあ」と車を出そうとしたけれど、思い直してパーキングに入れ直した。

「波多、ユカに告白されたってホント?」

「えっ?」

 波多は目を見開いたあと、思い出したように「ああ」と脱力する。

「卒業式んときの二次会だろ。あれは告白とは言わない。絶対誰かの名前言わなきゃいけない雰囲気だったじゃん」

 言葉に言い訳めいたものを感じ、わたしは苛立ちを覚えた。ユカの気持ちにまったく気づいていないことが腹立たしい。

「知らないよそんなの。わたし、いなかったから」

「あ、そっか。そうだよな」

 波多の反応は意外だった。わたしがいたかどうかを、波多が覚えているなんて予想外だ。落ち着かない気持ちになり、車を発進させる。

「ユカと仲いいのに、フッちゃったんだ。ユカ、かわいそう」

「かわいそうって言ったって、あの時は成立したらキスみたいなノリになっててさ。人前でとか絶対イヤだろ。それに、遠距離とかダメだから、俺」

「遠距離じゃなかったら、つき合ってたんだ」

「さあね」

 波多の声は少し不機嫌だった。遠距離がダメというのは、陽菜乃先輩のことかもしれない。

「わたし行かなくてよかった。好きな人いなかったから、キスもフラれることもなかっただろうけど」

「千尋、甘い。とりあえず誰か指名しないと、即、納豆青汁だったんだぞ」

 チラと横目で見ると、波多は顔をしかめていた。

「納豆青汁か、キスか、フラれるか。かぁ。最悪だね。波多はどうやって乗り切ったの?」

 からかい混じりに聞くと、波多は「うん」と返事にもならない唸り声を漏らす。

「誰かの名前言ったんでしょ。わたしも知ってる人だよね?」

「知ってるっていうか、千尋の名前、言った。ミサトさんって」

 波多は目をそらし、けっこう盛り上がったよ、と誤魔化すようにハハと笑った。

「千尋いなかったし、納豆青汁もキスも回避できると思って」

 胸にモヤモヤしたものが広がって、わたしが押し黙ると波多は「ゴメン」とつぶやく。

「波多は、悪気ないんだろうけど」

 傷つくよ、という言葉を飲み込んだ。

「波多のバカ」

 助手席に向かって左手を振り下ろすと、彼はわたしの手を受け止める。逃れようとするとギュッと掴まれた。

「俺の後にも三人ミサトの名前言ってた。本音のやつもいた」

「本音かどうかなんて、波多にはわかんないでしょ。みんな、免罪符が欲しかっただけだよ。聞かなきゃ良かった」

 千尋が、と波多の手に力が込もる。

「千尋があのとき、あの場所にいたら、どうしてた?」

「わたしは、ユカの名前言ったかな。ユカならキスくらいしてもいいし」

「そうじゃなくて。俺とだったら?」

 交差点の手前で、「手、離して」とわたしは言った。波多は素直に手を離し、わたしはハンドルを握って右折する。

「俺とだったら、キスした?」

「わかんない。それに、その場にわたしがいたら、波多は違う人の名前言ったんじゃない? 陽菜乃先輩とか」

 間があって、そうかもな、と彼はつぶやく。

「千尋は、悪気がないんだろうけど」

 ごめん、とわたしが言うと、俺も、と返ってきた。

 波多は同窓会の話を喋りはじめ、サプライズがあるんだ、と含み笑いをする。教えてよ、ナイショ、と繰り返しているうちに、波多の家のそばまで来ていた。

 細い路地を入れば波多の家に着くけれど、切り返す場所がないから波多はいつも大通りで降りる。大通りと言っても、この時間は閑散としている。

「サンキュ、千尋」

 波多は勢いよくドアを開け、なぜかピタと動きを止めた。思い直したようにシートに座り直す。

「どうしたの、波多」

「あのさ。俺、今だったら千尋の名前言うよ。本音で」

 すぐに意味が理解できず、わたしは首をひねった。波多がこちらに身を乗り出し、わたしが体を引く間もなく、唇が触れる。

「千尋」

 波多は困ったように眉を寄せてわたしを見ていた。

「同窓会、丸井も来るんだ。ミサトさんも来るのかって、あいつに聞かれた」

「丸井君?」

「打ち上げんとき、ミサトの名前言ったやつ。たぶん、本音で」

 だから、と言って、彼は車を降りた。チラと窓をのぞいただけで、背を向けて路地を駆けていく。

 わたしはしばらく車を出すことができず、指で唇を押さえたまま、「だから」の後の言葉を考えていた。


次回/52.みっちゃんの恋人

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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