アイスクリームと脱走者/7


7.愛は痛いもんだ

 店長と一緒にヒロセさんのマンションを出て、そっとスマホを確認すると、彩夏からはそっけないメールが届いていた。

『友達来てるけど、それでいいならOK』

『行く 今マンション出るとこ』

 ”友達”の文字が気になる。名前が書かれていないということは、わたしの知らない友達なのだろう。

 うっかりスマホを手に立ち止まっていると、「行くぞ」と焦れた店長が声をかけてくる。小走りで追いついて表情をうかがうと、チラと目を合わせて「さみーな」と言った。その顔は、普段と変わらず飄々としている。

「店長、車どこですか?」

「オフショア。ちょっと歩くけど、途中のコンビニでなんか買ってやるよ」

「わーい、ラッキー」

 明かりの消えた花屋の窓に目をやると、うかない顔の女がぼんやり映っている。じっと目を凝らすと、店内にはたくさんの鉢植えが置かれていた。花の形はなんとなくわかるけれど、華やかさは少しもない。

「千尋、店辞めんなよ」

 振り返ると、店長はなんでもない顔で歩いている。

「急になんですか? 辞めませんよ」

「ならいいけど、聞いたんだろ? ヒロセの再婚の話」

「あー、はい。お子さんできるんですよね。ヒロセさんがパパになるって、イメージできないんですけど」

 ヘラヘラわらいながら、いつも通り喋れているのか自信がなくなってくる。おめでたいですね、という言葉が棒読みになった。

「俺も今日聞いて驚いたんだ。朝日の、……ああ、千尋は朝日知ってるっけ? ヒロセの元奥さん。その友達に聞いた。一ヶ月くらい前には再婚の話が出てたって。それで、ヒロセに確認したんだ。妊娠六ヶ月だと」

 ヒロセさんがわたしと関係を持ったのは、再婚話の前だったのか、後なのか。

「朝日は出産で実家に帰ってるだけって思ってたやつも多いみたいなんだ。朝日がそんなふうに言ってまわってたようだし。そういうことにしときたかったんだろ。朝日は、ヒロセにシェ・アオヤマに戻ってほしいだろうから」

「シェ・アオヤマって、ヒロセさんが働いてたお店ですよね。朝日さんと一緒に」

「ああ」

 店長の返事は、ため息のようだ。

「朝日はその店の娘さん。ずっと前から、ヒロセと店を継ぐのが夢だったんだよ。夢というより、そうなるのが当たり前だと思ってたのかな。それを、俺が邪魔したんだ」

 細い月の夜で、昼間の暑さが不思議なくらい秋の匂いがしていた。

 月曜の夜だからか人通りもまばらで、繁華街は明かりの消えた店がチラホラある。オフショアの窓ガラスにはロールスクリーンが下ろされ、ドアにはクローズの札がかかっていた。路地に入って少し行くと、自動販売機が暗がりの中に佇んでいて、その脇に店長の車が停まっていた。

「コンビニ寄るの忘れちゃったな。自販機でカンベンして」

 店長は財布から五百円玉を出して自動販売機に入れた。わたしはホットミルクティーを買い、カイロ代わりに抱えて助手席に乗り込んだ。

「アイツ、また置きっぱかよ」

 店長の視線の先を見ると、駐車場の端に自転車が停まっている。

 市街を抜けて大学方面へ走りながら、店長は独白か懺悔でもするみたいにずっと話していた。

「ヒロセはたしか、十八歳でシェ・アオヤマに入った。朝日は製菓学校出てからホテルで働いてたんだけど、ヒロセが入って来たころにちょうどアオヤマで働くようになった。俺は、あのころは輸入食材扱う会社にいて、仕事でシェ・アオヤマに出入りしてた。
 俺が海に誘って、ふたりともサーフィンするようになって、気づいたら付き合ってた。アオヤマのオーナー夫妻も公認で、奥さんの方はずいぶんヒロセのことを気に入ってたみたいだ。
 朝日は両親の姿を見て育ってきたわけだし、彼女にしてみたら、ヒロセと自分もそうなるはずだったんだろ。ただ、ヒロセにはちょっとキツかったかな」

 やりきれないように、店長はコツンとハンドルを叩いた。

「ヒロセが相談してきたんだ。ずっとシェ・アオヤマに閉じこもってていいんだろうかって。それで、俺が声をかけた。一緒にやらないかって。ちょうど、うまし家の準備をしているときだった」

 卑怯だろ、と店長は笑ったけれど、目が泣いているように見えた。

「朝日さんは、反対しなかったんですか?」

「したよ、もちろん。でも、オーナーが、一旦店を離れた方がいいかもしれないって、ヒロセを後押ししたんだ。
 そのときヒロセは二十四で、六年目とはいえ店の中では下っ端に毛が生えたようなもんだった。朝日がそれを特別扱いするものだから、店ん中がギクシャクしてたんだ。朝日も、なんか焦ってたのかな。年上で、あの当時が二十八歳くらいだったか。
 それで、ヒロセはうちに来ることになって、そんとき朝日が出した条件が結婚だったんだ。それと、いずれアオヤマに戻ること。俺がヒロセを誘わなかったらって考えると、朝日にはホント頭が上がらねーんだ。
 だから、ヒロセと朝日は元に戻って欲しいと思ってる。俺の勝手なんだけどな」

「あの、二人が離婚したきっかけって、なんだったんですか?」

「オフショア、かな。立ち上げの時からヒロセがアオヤマを意識してるのは分かってた。それが、朝日にはキツかったみたいだ。オープン直後に店に食べに来たあと、ヒロセは戻る気がないんじゃないかって、すごい剣幕だったらしいよ。離婚届叩きつけてマンションを出てったって。今思えば、そのころには妊娠してたわけだし、感情的になりやすい時期だったのかな」

 朝日さんは、待ちくたびれてしまったのかもしれない。さっぱりした口調の、なんでもしなやかに受けとめそうな女性だった。あれはきっとよそゆきの顔だったのだ。わたしは少しだけ彼女に同情した。

 車はとっくにうまし家に到着している。店裏の駐車場は大通りからの光が建物で遮られ、ひっそりと闇に包まれていた。国道を走る車の音と、ときおり学生らしい甲高い声が聞こえた。

「ヒロセは、流されないんだよ。いい意味でも、悪い意味でも。現実とか、まわりの期待とかに流されるのをすごく嫌がる。ヒロセ自身がやりたいと思ってることも、他人の期待がかかってくると、あえて反対方向に突っ走る。期待に応えなきゃいけないっていうのを、必要以上に背負うんだろうな」

「それってなんか、反抗期みたいですね」

 店長は、ハハッと声をあげて笑った。

「うまいこと言うな。そうそう、ガキなんだよ。アマノジャクっていうかさ」

「でも、なんかわかる気がします。決めつけられると否定したくなる。正論で言われると余計に」

 胸の奥に押し込めてきた怒りが、パチリとはぜた気がした。

「千尋ちゃんは、ヒロセと似てるとこがあるかもね」

「ガキですか?」

 うんまあ、と店長はうなずき、そのあと目元に皺をよせて柔らかな笑みを浮かべた。

「他人の言うことなんて放っておけばいいんだよ。流されるか、逆らうかなんて、どっちでもいい。俺がこうやって偉そうに喋ってることも、聞き流せばいい」

「そうなんですか? そしたら、わたし好き勝手にやっちゃいますよ」

 冗談のつもりだった。なんとなく、「それは困る」みたいな言葉が続くものだと思っていた。

「好き勝手にしていいって言ったら、千尋はどうする? ヒロセと朝日のこと、邪魔したりするのか?」

「ジャマって……」

「悪い。言い方が良くなかった。ただ、千尋は自分がどうしたいのか、ちゃんとヒロセに伝えたのかってこと」

「……店長は、たぶん勘違いしてます。ヒロセさんとはそんな関係じゃないし、わたしが一方的にファンって言ってただけで、別にフラれたわけでも、失恋したわけでも」

 ため息が聞こえた。店長はわたしの嘘に騙されてくれない。

「それが、千尋の正解か?」

「正解?」

「何もなかったみたいに、平気なフリをするのがいいって考えたんだろ。言葉ではもっともらしいこと言っても、本心が違うってことは顔に出てるんだよ。ヒロセのこと、まだ好きなんだろ」

 急に涙があふれそうになって、顔をそむけた。手の中のミルクティーはすっかり冷めていたけれど、口に含むとまだほんのり温かかい。

「好きじゃないです。だから、もういいんです」

 アマノジャクめ、と店長は笑ったようだった。

「もっと肩の力を抜いたらいいんだよ。バイトん時もずっと動き回って息つく間もないし。奏なんか、俺が見てないと思って適当にサボったりしてんだろ。あれを見習え」

「店長がそんなこと言っていいんですか」

「まあ、俺もサボってるし」

「それはオーナーだから」

「別に、手を抜けって言ってるわけじゃない。忙しく目の前の雑用ばっかりやってるやつに新しい仕事させられないだろ。余裕持てって言ってんの。
 なんでもかんでも自分がやらなきゃ、なんてことはないんだよ。もっとまわりを見ろ。お前が仕方なくやってる仕事を、実はやりたかったってヤツだっているかもしれない」

 ジワリと不安が湧いて、頭が勝手に過去の記憶を追いかけはじめた。わたしは、今まで余計なことばかりしてきたのだろうか。

「わたしがいなくても、困らないですよね。誰も」

「あほか」という言葉とともに、店長の手がわたしの頭を掴み、グラグラと揺らした。その手はすぐに離れる。

「困るとか困らないとか、そういう話じゃないんだよ、俺がしてるのは」

 視線だけをチラとあげると、店長は窓の外を見ている。

「年頃の娘はむずかしいなあ」クシャクシャと頭をかいた。

「千尋、次の出勤のときは今まで仕方なくやってたこと、他のやつにまかせてみろ」

「仕方なくやってたことなんてありません」

 即座に答えると「重症だな、お前」と返ってくる。

「じゃあ、あれだ。とりあえずやりたいことを先にやれ。先回りしてしんどい仕事するの禁止」

 ヒロセさんの話をしていたはずなのに、なぜこんな話になってるのか。ふとそのことに気づいておかしくなった。

「仕事人間」

 ポツリとつぶやくと、店長は怪訝な顔をした。

「ヒロセさんが、店長は仕事人間だって。いつの間にか仕事の話になってる。仕事人間が従業員に仕事するなっていうの、やっぱ変です」

 ヒロセさんの名前を口にすると、かすかに胸が疼いた。店長は苦笑している。

「お前とヒロセ、やっぱ似てないわ」

 彩夏のアパートまで並んで歩きながら、店長は奏さんの失敗談を話してくれた。「失敗してなんぼだ」と、最後の締めはやはり仕事の教訓だった。人生のことかもしれない。

「なんか親父くさい説教しちゃったけど、かわいいムスメには幸せになってほしいからさ」

 酔ってないくせに、酔っぱらいみたいなことを言う。

 その”親父”は、ヒロセさんと朝日さんの再婚を喜んでいて、わたしのことは応援してくれないんだろうな、と頭に浮かんだ。

 ヒロセさんには好きな人を探すと言ったのに、諦め切れていないことを自覚する。でも失恋なんてそんなものだ。距離を置けば、いつか過去になる。

「店長。かわいいムスメに愛を下さい」

 両手を前に差し出すと、店長はニヤッと笑って、わたしの手をパンと叩いた。

「愛、受け取ったか」

「愛が痛いです」

「愛なんてそんなもんだ」

 店長は苦笑しながら手をプラプラ振っていた。手のひらがジンジン痺れて、それがなんだか嬉しかった。

「わたし、ムスメって年齢じゃないですよ」

「俺の娘はもうすぐ二十五歳だよ。会うこともないけどな」

「え……」

 店長はさっさと背を向けて帰っていく。疑問がモヤモヤと頭に広がったけれど、”愛なんてそんなもんだ”という店長の言葉が、ストンと胸に落ちた。

 彩夏の部屋の窓を見上げると、カーテン越しの明かりが透けて見えた。アパートの他の部屋は、すべて真っ暗だった。


次回/8.友達とかプライバシーとか

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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