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アイスクリームと脱走者/23


23.一番がいい

 月火と休んで、水曜日の朝。両親と兄が出かけるのを車の音で確認してから起き出した。

 出かける準備をして「いってきます」と声をかけると、祖母は門の外までわたしを見送りに出てくる。「大丈夫」と繰り返してもあれこれ世話を焼こうとし、お節介だと呆れながらも、母のようにイラつかないのは祖母がわたしを責めないからだ。

 大通りに出る前にチラとバックミラーに目を向けると、祖母はまだ門の前でこちらを見ていた。


 午前の講義が終わり、わたしは小走りで学食へ向かった。

 大学祭のごった返した人の群れは夢だったのかと思うほど、学内の景色は日常そのものだ。ここ数日で木々は一層色づき、風もないのにハラハラ落ちていくイチョウの葉が寂しげだ。

 厚手のニットパーカーの前をかき合わせると、高校のときのことを思い出した。今くらいの季節の、秋晴れの濃い青空。テニスコートのユカと波多。

 高校のときの波多を思い出すと、なんとなくむず痒くなる。口元に手を当てて、こみ上げる笑い袖で隠した。どうして笑いたくなるのか、自分でもよくわからない。

 学食の前には、彩夏と一緒に圭と波多が立っていた。待ち合わせていたのは彩夏だけだ。

「めずらしい顔ぶれ」

「俺は顔見に来ただけ」波多が言った。

「俺は一緒に飯食うから」

 圭の言葉に、波多は少し居心地悪そうに目を泳がせ、ふと何かに気づいてポケットからスマホを取り出した。メールのようだった。

「ごめん、先約があるんだ。ミサト元気そうだし、俺そろそろ行くよ。バイトいつから?」

 波多はいつもより早口で、立ち去るための嘘というわけではなさそうだった。

「金曜には出るつもりだけど、まだ分かんない。帰りに店に顔出すから、そのとき店長と話してみる」

「帰りって、何時くらい?」

「五時くらいかな。みんな来てるだろうし、元気になりましたって報告しに行く」

「そっか、了解。俺もいるからまたその時」

 波多は笑顔のまま背を向けると、文学部棟の方へ走っていった。

 学食は満席で、それぞれお昼ごはんを買ったあと、トレーを手に屋外テラスに出た。

「この時期のテラスはやっぱ寒いね。千尋、病み上がりなんだから体冷やさないでよ」

 彩夏が自分の羽織っていたストールをわたしに差し出す。彼女のニットセーターは襟元が大きく開いて、あらわになった鎖骨が寒そうで仕方ない。

「防寒対策バッチリだから平気」

 祖母に持たされたカイロと膝掛けをカバンから出すと、彩夏は「ホントだ」と笑ってストールを肩にかけ直した。

 圭はズルズルとラーメンを啜っている。彩夏のカレーからスパイスの香りが漂ってくるけれど、まだカレーの匂いにはそそられない。わたしの前にはキツネうどんがあった。

 のんびり麺をすすっていると、圭は器をもちあげてスープを飲みはじめる。もう食べ終わってしまいそうだ。

「ねえ、圭」

「何?」と器から顔だけ外して圭がわたしを見た。

「波多と和解したの?」

「まさか」

 圭は一気にスープを飲み干し、はぁ、と満足げに息を吐いた。

「波多が送ってきた写真、二人とも楽しそうに写ってたのに」

 彩夏が、ああ、あれね、とクスクス笑った。

「後ろの席で波多が千尋と話してるの聞こえたの。で、メールしようとしてたから横にいた圭と強制的に」

「そう、強制的に」圭がうなずく。

「さっき一緒にいたのは?」

「波多が心配してたから、千尋のために連れてきた」

「すぐいなくなっちゃったけど」圭が意地悪く笑うと、バーカ、と彩夏は呆れたように圭を見る。

「本当に顔だけでも見たかったんだよ。倒れたときヤバかったから千尋。そうそう、美月さんも心配してたよ。前の日に美月さんち泊まったんでしょ?」

「うん」

 happy icecreamに行ったのはつい先日なのに、ずいぶん昔のような気がしてくる。

「心配かけちゃったよね。早く美月さんに会いたいな」

 ポソリとつぶやくと、「その言い方はなんか妬けるね」と彩夏は同意を求めるように圭を見た。圭は「別に」とにべもない。

「美月さんに嫉妬しないでよ。わたしが言い寄ってもカレシがいるから無理、とか言ってたくせに」
 
「それはそれ、これはこれ。千尋はわたしが誰かと、例えば圭と仲良くしてたら嫉妬しない?」

「しない」

 あっさり答えると、彩夏は「えー」と大袈裟に言う。ひどいと思わない? と圭の肩を揺すり、圭は頬杖をついたまま、「ドンマイ」と彩夏を見た。

「わたし、彩夏の一番じゃなくても一緒にいられたらいい。彩夏、知り合い多いし、嫉妬してたらキリがない」

 たしかに、と圭が口元に笑みを浮かべてうなずいた。

「わたしは千尋の一番がいいな」

 夢見る少女みたいに手を組み、彩夏はふざけた調子で言う。

「一番だよ」

 まわりにいる人の中で、誰を一番失いたくないかといえば彩夏だった。恋愛みたいにグラグラしない。友だちだからこその、近づき過ぎない距離。

「よかったな、彩夏」

「知ってたけどね」と彩夏は得意げだ。ハイハイ、と圭は呆れたように彼女をながめていた。

 

次回/24.「いい感じ」とか言わないで

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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