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アイスクリームと脱走者/6


6.アイスクリームはキープで

 コンビニでガリガリ君とハーゲンダッツを買い、ヒロセさんの車に乗りこんだ。

 ココナッツの香り。なんとなく、気持ちが夏に引き戻される。

「アイス、いっぱい買いましたね」

「ああ、うん。実はさ、千尋ちゃん」

 なぜかヒロセさんの声は申し訳なさそうで、わたしは不思議に思って首をかしげた。

「店長、来てるんだよね、今。ついでに、奏とボーズも」

 ヒロセさんは言いにくそうに頭をかいた。

「そうなんですか」わたしの落胆は声にあらわれる。

「千尋ちゃん、ゆっくりしたかったよね。ごめん」

 ヒロセさんはわたしの手を握り、アイスの入った袋がカサと音をたてた。

「仕事の話とか、あるんじゃないんですか? わたし、ジャマなら遠慮しますけど」

 窓に目をやるフリをして、わたしは堪えていたため息をゆっくりと吐いた。ヒロセさんにも予想外のことなのだろうけれど、先に連絡をくれれば期待しないですんだはずだ。

「仕事じゃないから気にしなくていいよ。成り行きで押しかけられただけだから」

「ヒロセさんに、迷惑かかりませんか?」

「全然。ヤローばっかより、女の子いた方がいいしね」

 車の切れたタイミングで、駐車場から通りに出た。

 マンションで、夜に二人きりで会うという約束が、ヒロセさんにとってどれくらいの意味を持つのか、わたしにはよく分からなかった。店長たちにどんなふうに話したのか。店長たちは、それを聞いてどう思ったのか。

 わたしにとっては特別なことだけど、他の人にとってはよくあることかもしれない。ヒロセさんは本当にDVDを一緒に観るだけのつもりだった、かもしれない。

 小高い丘の上に、高校の校舎が見えてきた。わたしと、波多君の母校。それを横目に見ていると、車は市立病院の前の信号で停まる。父が入院していた病院だ。

 年季の入った自動ドアが開き、点滴をぶら下げた白髪交じりの男性と、付き添いの若い女性が出てきた。父娘のようだ。

 ふたりが横断歩道を渡っていると歩行者用信号が点滅をはじめ、女性は父親に向けていた顔をこちらに向けて、曖昧な笑顔で会釈した。その笑顔は一瞬で消え去る。なぜか、息苦しさをおぼえた。

 ヒロセさんはじっと信号を見つめていて、途切れた会話を継ぐことなく音楽に耳を傾けていた。

 歩行者信号が点滅から赤に変わったとき、不意にヒロセさんの声が耳に入った。

「たぶん、再婚することになると思う」

 信号が青に変わり、車はゆっくりと走り出す。

「前の奥さん。最近わかったんだけど、妊娠してたみたいで。それで、やり直そうかって話になった」

 ヒロセさんは感情を挟まず淡々と口にした。

 カーステレオから流れる洋楽が鼓膜に届き、ユラユラと音が揺れ、さまよった視線が二台の自転車をとらえた。

 ほんの二年ほど前まで着ていた制服、男子の学ラン。不意にまわりの音がクリアに聞こえ、自転車の男女が路地へと姿を消す。
 
「ヒロセさん、パパになるんですね。おめでとうございます」
 
 助手席でペコリと頭を下げ、そのまま膝を見つめた。

 ヒロセさんの左手がうつむいたままのわたしの頭を撫で、親指が耳の後ろをさする。その左手に、あの指輪はまだはめられていなかった。

「千尋ちゃんは、いい女だね」

 大きな手はゆるゆると動いてわたしの頬に触れた。わたしはその手のひらに唇をつけ、自分の手を重ねる。泣きたいとは思わなかった。

「子どもです」

「そうかな。俺も、子どもだけどね」

 マンションに着き、エンジンを切ると、どちらからともなく顔を寄せてキスをした。なんだかもう、このまま帰ってしまいたかった。

 繋いだ手を離したのは、『高嶋』という表札の前だ。玄関を開けると話し声が聞こえた。

「オフショアのスタッフが…」

 わたしが「仕事の話ですね」とヒロセさんに言うと、「あの人は仕事人間だから」と肩をすくめた。

 リビングでは三人が床に座り込んでピザを食べていた。ヒロセさんは「おらよ」とレジ袋を奏さんに渡す。

「千尋ちゃん、これにしなよ。新しいガリガリ君。一口ちょうだい」

 わたしはそれを無視し、クッキー&クリームのハーゲンダッツを選んだ。奏さんは不満げな顔をしたけれど、「じゃあ、こっちのガリガリ君は俺のキープね」と、冷凍庫にしまった。

 店長とヒロセさんはDVDを観ている途中でベランダに抜けだし、煙草を吸いながら何か話していた。ヒロセさんが煙草を吸うところのを見たのは、このときが初めてだった。

 仕事の話なのか、それとも再婚のことなのか。チラチラと目を向けていたら店長と目があった。煙草を指にはさんだまま手を振り、わたしは同じように振り返した。

 そのあと映画をじっと観ていたけれど、ただ目の前を流れていくだけで、内容はほとんど頭に入らなかった。観終わったのは十一時半をまわったころ。エンドロールが流れているとき店長がわたしに声をかけてきた。

「千尋ちゃん、店寄って帰るから送ってくわ。彩夏ちゃんとこでも、家でも」

「じゃあ、彩夏のとこまで送ってもらっていいですか」

 最初からそのつもりだったような口振りで答えて、チラとヒロセさんをうかがうと、彼は奏さんと楽しげに話している。聞こえていないのか、聞こえていないふりなのか。

 トイレで彩夏にメールを送ったけれど、返信はすぐには返って来なかった。彩夏が家にいなかったら、自分の車で家に帰るだけのことだ。

「バカみたい」

 最後の最後まで期待を捨てられないでいた自分が嫌になった。

 リビングに戻ると、ボーズさんと奏さんはソファでのんびりと寛いでいて、どうやら二人とも泊まるようだった。ヒロセさんの姿を探すと、ちょうど寝室のドアが開き、「千尋ちゃん」と手招きする。

「この前言ってたDVD、観たいなら持って帰っていいよ」

 そのDVDは今みんなで観たばかりだ。ヒロセさんは部屋の中に姿を消し、わたしは彼を追って部屋に入った。少しだけ乱れたベッド。指輪の入った小瓶はどこかへしまったのか、見当たらない。

 ヒロセさんはDVDラックの前にあぐらをかいて、わたしはその隣にしゃがみこんだ。ヒロセさんの手が伸びてわたしの頬に触れる。横目でドアをうかがいながら、近づいてきた唇を受けとめた。気配に耳を澄ませ、抱き合うこともなく。

「わたし、他に好きな人探します。ファンクラブ卒業」

「そっか。ごめんね」

 ヒロセさんは、悲しそうな、でもどこかホッとしたような顔をしていた。

「千尋ちゃんには、もっとちゃんとしたやつの方が合ってるよ」

 卑怯だと思ったのは、彼がその言葉のあとにわたしを引き寄せてキスをしたからだ。千尋ちゃん、と店長の声が聞こえるまで、ヒロセさんはわたしの首に回した腕を解こうとはしなかった。


次回/7.愛は痛いもんだ

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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