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アイスクリームと脱走者/29


29.コンビニに行く理由は

「圭、ドイツ語得意なの?」

 遅れないように早足で歩くと、白い息が浮かんで消えた。

「あいつらよりマシなだけだよ」

 圭はそっけない返事を寄越し、フイと顔をそらす。いつもより無口で、少し不機嫌だ。

「トイレ」と、コンビニに着くなり圭はいなくなり、わたしは鮭おにぎりとポッキーとミルクティーを買った。店内をウロウロしながら圭を待っていると、いつの間にかレジ前に立っている。手には市販の頭痛薬があった。

「やっぱり圭、体調わるいんだ」

 店を出てから聞くと、「そんなでもないけど」と圭は寒そうに肩を縮めた。

「圭。これ、あったかいよ。持ってるだけでカイロ代わり」

 わたしがミルクティーのペットボトルを渡そうとすると、圭はビクッと身を引いた。その反応に驚いて、「ごめん」と反射的に謝る。圭は少しの沈黙のあと「ごめん、なんでもない」とだけ言った。

 微妙な空気のまま、圭が足を止めたのはアパートの前だった。外灯の明かりのせいか、顔色がずいぶん青く見える。

「圭、大丈夫?」
 
 観念したように、圭は小さく息をはいた。

「実は、アノ日なんだ。そんなにしんどいわけじゃないけど、匂いとか気になるし」

 わたしの視線の先で、圭はしょんぼりした顔で地面を見つめていた。圭の青白く透き通った肌。わたしは圭の言葉を理解するまでに少し時間がかかった。

「そう、なんだ。気づかなくてごめん」

 コンビニでトイレに行ったのは、部屋に波多がいたからだろうか。

「早くレポート終わらせて帰ろ、圭」

 うん、とうなずいた圭は、少し表情が緩んだようだった。「千尋は鈍感なのかどっちなのか分かんないな」と、いつもみたいに皮肉めいた口調で言いながら階段を上がる。

「圭。彩夏は知ってた?」

「言ってないけど、気づいてるかも」

 ふと足を止めた圭が、わたしを振り返ってクスと笑う。

「彩夏に言ってたら、千尋は嫉妬する?」

「しないよ。どっちにどんな嫉妬したらいいの」

「俺が、千尋から彩夏を取っちゃったら嫉妬しないのかってこと」

「圭は、彩夏が好きなの?」

 彩夏にもフラれた、と圭は言っていた。陽菜乃先輩と、彩夏。圭が好きなのはどっちだろう。

「千尋は愛されてるからなあ」と答えにならないことを圭が言う。どういう意味、と聞いても、彼は「さあね」と笑うだけだった。

 部屋に戻ると、波多が荷物を片付けていた。

「レポートなんとかなりそうだから、あとは家に帰って仕上げようと思って。圭も帰るなら送るよ」

 波多の口ぶりはすっかり送るつもりでいるようだった。

「波多、車?」

「うん。姉貴に借りた。店の駐車場にピンクの車あっただろ。今から車取って戻って来るから、荷物置いとく。圭も帰るならそのとき拾うから」

 部屋の奥から「分かった」と彩夏の声が聞こえ、波多は車の鍵を持って部屋を出ていった。彩夏はクローゼットをゴソゴソあさり、「これでいっか」と紺のネルシャツを引っ張り出す。

「圭、ちょっと」

 彩夏は圭の腰にシャツを巻きつけ、前で袖を結んだ。

「波多に送ってもらいなよ」

「いいよ、べつに」

 血の気の薄くなった圭の頬を、彩夏は両手ではさんでギュッとつぶす。「よくない」と、コツンとおでこをぶつけた。わたしは二人の関係を覗き見たような気分になって、そっと視線を外した。

 しばらくして波多が戻って来ると、「送ってやって」と彩夏が圭を玄関に引っ張っていく。

「悪いな、彩夏。最後までみてやれなくて」

 スニーカーを履きながら、圭が言った。

「こっちこそ、遅くまでありがと。今度焼き肉おごるから、波多が」

 彩夏の言葉で、圭と波多の口からハハッと笑い声が漏れる。ドアが閉まり二人の足音が遠ざかると、彩夏は部屋の窓を開けて外を見た。ピンクの車が動き出し、路地を曲がって見えなくなる。

 彩夏がパソコンの前に座り、わたしはテーブルをはさんで向かいに腰を下ろし、彩夏の顔を見つめる。

「彩夏。圭にシャツ貸したのって?」

 曖昧な言葉で聞くと、彩夏は「ああ」と顔をあげた。

「気休め。素直に送ってもらいそうになかったし、漏れたりするの気になるのかなって思って。千尋、気づいたんだ」

 彩夏の意識は圭のところに飛んでいるのか、天井の、さらにその上を見つめているようだった。

「わたしは気付いたんじゃなくて、成り行きで圭に言わせちゃった。体調悪そうだなとは思ったけど。彩夏はどうして分かったの」

「圭がコンビニ行ったの、さっきが二回目。いつも財布くらいしか持たないのにしっかりカバンまで背負って」

 そっか、と納得すると、彩夏がクスッと笑う。

「最初は波多がいるから機嫌悪いんだと思ってたんだ」

「意外に仲良さそうにしてたじゃん」

 顔を見合わせてクスクスと笑い、フッと息をついた彩夏が「やっぱ悪いことしたな」とつぶやいた。

「圭、千尋には知られたくなかったかも」

「わたし、圭は生理ないのかと思ってた。彩夏、圭とはそういう話したりしてるの?」

 ううん、と彩夏は唸り、煙草を取りだして指に挟んだ。火を点けないまま弄んでいる。

「ごめん、別に話さなくてもいいよ。彩夏」

「話せないわけじゃないんだけど」

 カチッと音がしてライターに火が灯り、彩夏は眉をしかめて煙草に火をつけた。メンソールの香りする。

「彩夏、ひと口ちょうだい」

 わたしが膝立ちになると、彩夏は煙草を指に挟んだままこちらに向ける。口をつけて吸い込み、煙を吐くとケホッと咳が出た。頭がクラクラする。

「やっぱ、合わない?」

「喉が変なかんじ」

「千尋はそれでいい

。煙草なんて吸わない方がいいんだから」

 わたしの口紅がついた煙草を、彩夏は口に咥える。煙を吐いたあと、彩夏は「千尋はそのほうがいい」と、なんだか遠い目をした。


次回/30.千尋のせいだよ

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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