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アイスクリームと脱走者/14


14.講義室は空いてない

 文学部棟前の広場まで来ると、ずいぶん人通りは少なくなった。広場の隅で何人か踊っている人がいたけれど、練習なのかイヤホンをして、振りもバラバラだ。

 頬にポツリと雨があたり、空を見上げた。雲は明るい灰色で、本降りにはなりそうにはない。
 
「どっか空き教室に入ろっか」

 わたしの返事を待たず、圭は学部棟のドアを押し、ロビーを突っ切って階段へ向かう。

「圭、上にあがるの?」

「そこの第一講義室、使ってそうだから」

 階段の脇にある第一講義室は、たしか五百人くらいが入れる広さだった。

 圭を追いかけて階段の踊り場まで来たとき下から声がして、見下ろすと第一講義室からゾロゾロと人が出て来る。甲高い声の少年が、競うようにロビーを駆けていった。

「おーい、走るなよー。ちゃんと外で待って」

 黄色いタスキをかけた男性が声をあげ、子どもたちは返事もしないままドアを押し開ける。講義室から出て来る人の波は途切れそうになかった。次々と出てきては、グループに分かれてどこかへ向かう。

「たぶん、ボランティアサークルだ」
 
 わたしが言うと、「知ってんの?」と、圭は興味なさそうに聞いた。

「うん。学内探検だって。波多がいるかも」

 口にしてから、しまったと思った。

「あ、いた」圭が棒読みで言う。

 ロビーに目を向けると、子どもに手を引かれる波多の姿があった。こちらには気づきもせず、楽しげに外へ出て行く。

「気づかなかったな」

 圭がボソリと呟いた。

 次第に人がまばらになり、ロビーには誰もいなくなった。開け放たれたままの第一講義室からは何も聞こえてこない。

「もしかして講義室空いたんじゃない?」

 わたしが言うと、圭は「そうだね」と階段を下りはじめた。そっと講義室のぞき込むと、予想に反してまだ人がいる。中央最後尾に三人、資料を見ながら打ち合わせをしているようだった。

 不意に一人の男性が顔を上げた。わたしの口から「あっ」と声が漏れ、圭が「知り合い?」と聞いてくる。

「昨日、うまし家に来たお客さん。ボランティアサークルの人」

 男性もわたしに気づいた様子で、横にいたニット帽の女性の肩を揺らした。山名さんだった。聴講席の間の階段を、二人は一緒に降りて来る。
 
「昨日はどうも。遅くまですいませんでした」

「うるさくして、すいませんでした」

 男性に続いて山名さんが殊勝に頭を下げた。初めて顔を合わせたときのように、男性の後ろで隠れるように立っている。

「いえ。こちらこそ、ありがとうございました。また来てください」

「飲み過ぎには気をつけますね」

 なあ、と彼は山名さんを振り返って笑いかけた。

 山名さんが昨日飲んでいたのはアップルサイダー。お酒は一滴も飲んでいないから、たぶん、彼女の振る舞いをお酒のせいにしたいのだ。ふと波多が海で話たことを思い出し、この人が部長なのではと思った。

「もしかして、波多に用事ならしばらく戻ってきませんよ。ちょうど今出たばかりで、二時間くらいかけて学内を回るんです。直接電話してもらうか、急ぎでなければ伝えておきますけど」

「いえ。空き教室を探してただけなので、大丈夫です」

「じゃあ、会ったってことだけ伝えますね」

 伝えなくてもいいのにと思いつつ、「じゃあ」と頭を下げ

て部屋を出ようとしたとき、「あの」と山名さんの声がした。

「あの、お店、今度はもっと早い時間に行きます」

 山名さんはぎこちなく笑っていた。


次回/15.知らないほうがいいこともあるけど

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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