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アイスクリームと脱走者/4


4.家の中は

 十月になり、学校が始まった。

 大学祭に向けて学生の集団があちこちにたむろしていたけれど、講義を終えたわたしはそれを横目にダッシュで契約駐車場へ向かった。

 大学の正門を出て路地に入り、小走りに民家のあいだを抜ける。砂利の敷き詰められた月極駐車場には数台の車が停まっていて、その中の白い軽自動車がわたしのマイカーだ。十万キロ近く走った中古車は、見た目もちょっと古くさい。

 三十分ほどで家に到着すると、夕方五時を回ったところだった。玄関を入り、台所のガラス戸を開けて「ただいま」と祖母に声をかける。

「あら、千尋。今日夕飯いらないって言ってなかった? アルバイトじゃないのよねえ。月曜は定休日だって言ってたし」

「うん、バイトはないけど、彩夏のとこで一緒にレポート仕上げるから、シャワー浴びたら出るね」

「そう。じゃあこれ、文子叔母さんにもらったお土産あるから半分持っていきなさい」

 祖母はすでに開けられた菓子箱から焼き菓子をごそっと鷲掴みにし、無造作にテーブルに置いた。

「ちょうどいい袋がなかったかしら」

 祖母のひとり言がひとり言の大きさでないのは、年のせいだろう。祖母は菓子山からひとつ摘み、ポイっと口に放りこむ。

 本当は彩夏に会う予定はないのだけれど、いらないと言うわけにもいかず、わたしはそのまま二階へあがった。

 身支度をととのえ、再び台所をのぞきこむと、開けっぱなしの裏口から祖母と父の姿が見える。戸口の脇の洗い場で、盥《たらい》の中の茄子がユラユラ不規則な動きをしていた。彼岸も過ぎたというのに、今年は暑さが尾を引いている。

 父のティーシャツは肩の位置があっておらず、最近ようやく体重が戻ってきたようだけれど、以前の父にはほど遠かった。ビールケースに腰をおろし、麦茶を飲むんでいる。

 父が癌と診断されたのは、わたしが高校三年のときだった。冬のはじめ頃に手術をし、わたしの受験とも重なって家の中は落ち着かなかった。

 ユカと同じ県外の大学を受験するつもりで準備をしていたけれど、わたしは迷った末に母の希望通り地元の大学に進路変更した。

 両親は市内に事務所を構えて小さな会社を経営していて、父の病気により母の負担は大きくなり、帰宅もずいぶんと遅くなった。家のことは、わたしと祖母とで分担してやった。

 退院しても、父は抗癌剤の副作用で横になっていることが多かった。狸の置物のようだったビール腹はいつのまにかなくなっていた。

 わたしは意識して以前と変わらないように過ごしていたつもりだけれど、何を口にして何を口にすべきでないのか、家族それぞれに不安と苛立ちがあったのは確かだ。

 わたしはその淀んだ空気から逃れるように、自分の部屋にこもって受験勉強に励んだ。

 七歳年の離れた兄がいたけれど、その頃彼は大阪で働いていた。父が病気になって「兄がいれば」などと思ったことは一度もない。むしろ、いなくて良かった。

 わたしが小学校を卒業するころまで兄は入退院を繰り返していた。小難しいカタカナの病名を母から聞いたことがある。その正式名称は忘れてしまった。

 兄が入院するたび母の帰りは遅くなり、その時も母は疲れた顔をしていたけれど、父のときほどではなかったように思う。

 父が入院したのは、兄の見舞いで何度も訪れたことのある病院だった。見慣れたと思っていた病院は、なんとなく違った景色に見え、居心地の悪さをおぼえたのは小児科でなく外科だったからかもしれない。

 父が入院したその年の暮れ、兄が仕事を辞めて家に戻って来ることになった。

 母はその電話を受けて安心したような顔をし、わたしは密かにそのことに腹を立てていた。なぜ、兄を頼りにできるのか。

 病弱だったというだけなら、兄を嫌う理由などなかった。

 わたしが中学に通いはじめた頃に兄の病状は落ち着き、通院は年二回の検査だけになっていた。それまでの反動なのか、成人したばかりの兄は仕事にも就かず昼夜問わず遊び歩き、たまに昼間に家に帰ってくると金色の髪の毛が田舎の景色の中で奇妙に浮いていた。

 兄の髪の毛は、二年ほど経つと黒に戻った。それまでのあいだ、腫れもののように兄に接する母に苛立ち、真面目に学校に通う自分がバカみたいに思えた。

 わたしは兄に振り回されたくない。母のようにもなりたくなかった。

 だから、「仕事で大阪に行くことになった」と兄が言ったときには、驚きとともに、母に対してザマーミロと心の中でつぶやいていた。兄と母が引き離されてしまえばいいと思ったのだ。

 そんなわたしの気持ちとは裏腹に、絶対に引き止めると思っていた母も、父も祖母も、兄の突然の就職を手放しで喜んだ。なんやかんやと心配しながらも、兄は笑顔で大阪へ送り出されたのだった。

 怒りのやり場を失ったわたしは反抗期に突入し、家では自室にこもることが多くなった。その一方で、家の外では品行方正に映るように務めた。わたしは、兄とは違うのだから。

 わたしの静かな反抗は高三の冬までくすぶっていた。そして、父の病気によって爆発する機会を失って萎んでしまった。

 大学生活に慣れた頃には父の抗癌剤治療が一段落した。生活サイクルにリズムと落ち着きが戻り、我が家にもなんとなく日常の感覚が戻ってきた。

 兄が両親の会社で働くようになったこともあり、父の仕事復帰はずいぶんのんびりしたものだった。祖母と一緒に料理や畑仕事をし、

 体調の良し悪しにかかわらず会社の方は母と兄に任せ、出勤しても夕方には帰ってくる。

 そんな父とは反対に、わたしは家で過ごす時間が減っていった。家に、自分の場所を見つけられなくなっていた。


次回/5.夕風に揺れる

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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