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海外留学生活で得た経験

税理士に関わるトピックを中心にブログ記事を掲載していましたが、今回は私が長期滞在した3ヶ国(アメリカ合衆国、イタリア、ブラジル)での生活を振り返りました。

私の海外生活は、2006年9月~2008年5月までの約1年半近く、アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘヴン市に滞在して、大学院でスポーツ経営学の修士課程に通学しました。

アメリカ合衆国ニューイングランド地方

次に、2008年9月~2009年1月までの約4カ月間、イタリア共和国ウンブリア州ペルージャ市の国立大学の外国人向けイタリア語コースで語学習得のため、滞在しておりました。

イタリア共和国中部

最後の滞在国は、2013年8月~2014年7月までの1年間、ブラジル連邦共和国リオグランデドスル州ポルトアレグレ市でした。
当時在籍していた三菱自動車工業(株)の海外語学研修プログラムにより派遣され、現地州立大学の外国人向け語学コースでポルトガル語習得を目的に、企業研修生として滞在していました。

ブラジル連邦共和国

海外生活で良かったこと

① 精神的にタフになる。

② 海外ネットワークが構築できる。

③ 多様性を受け入れられる。

海外で生活した人であれば、恐らく誰もが共感するであろう3つの良かったことを挙げてみました。

まず、1つ目はメンタルが強くなるということです。
母国語である日本語で聞き取りそして伝えることが、ストレスになるという経験は、日本人で日本に住んでいればまず考えたことはないと思います。

海外で生活したことがある人であれば、母国語でない国で相手が言うことが理解できない、自分の言ったことが相手に伝わっていない、この様な初歩的なコミュニケーションのストレスは、最初に感じるはずです。

特に人生初めての海外生活であるアメリカの授業に参加したときは、TOEIC800点以上で英語が得意だと自覚していたにも拘わらず、生徒が発言していることが理解できず、グループディスカッションのリズムにも乗り切れなかった経験があります。

分からないことを理解しようとしても分からず、自分の能力の無さに自信を失ってしまいます。

また、例えば日本で銀行のキャッシュカードが急に使用できなければ、カード裏面にある問い合わせ番号に電話して、解決方法を探ることは、誰でも簡単にできます。

しかし、滞在先で相手の表情を見れず、音声も聞き取りにくい電話でコミュニケーションすることは、かなりハードルが高く感じました。大体5~7程度は聞き取れて、後の2~3割は想像(大体想像したことを相手が言っている)、残りの1~2割は全く分からないという感触でした。

留学当時はスマホは存在しておらず、気軽に動画を取れるものはなかったので、テープレコーダーを授業中に持ち込んで録音し、自宅で復習する際に分からなかった箇所を再生して理解に努めました。

そうすると、滞在開始4か月目頃から段々とリズムに慣れて、こういうことを発言し合っているんだろうと、分かってくる瞬間がありました。

その後も聞いて分からないことは、必ずありましたが、滞在先の生活リズムに慣れて、友人関係が構築できて、日常生活のルーティンが確立してくる頃になれば、精神状態が安定するのだと思います。

分からないことに対して、分からなくてもまあいいか、ここで立ち止まらずに前に進んでいけばよい、という意識に変わっていきました。

このポジティブな思考は、今でも自分のアイデンティティーとして身に着いており、実際に海外留学をして海外現地で経験をしていなければ、得られなかった思考です。

留学の醍醐味は、スマホのGoogle検索やYouTUBEの動画視聴では、得られない体験を自分で実感して習得する、このことに尽きると思います。

そして、2つ目は外国人のクラスメート、その友人らと新たな交友関係が生まれるということです。

会計用語で言い換えるとすれば、あなたの無形固定資産を取得することになります。

友人関係を作るきっかけには、日本人でも外国人でも国籍は全く関係なく、同じ空間で同じ事を体験する(授業のクラスメート、食事を共にする、一緒に旅行に行く等)、同じ趣味や価値観を共有していると分かる等、何かを共有することが起点だと思います。

彼らとの会話で、「日本語では何というのか?」「日本ではどうなのか?」「アメリカはこうだが、自分の国ではこれが普通だ。」という異文化をとらえた会話のテーマが増え、新たな知見や好奇心を得るきっかけになります。

最後は、多様性を理解できないかもしれないが、知る、そうなんだとまずは受け入れることです。

ブラジル滞在中ですが、夏のカーニバル期間であれば野外の広場で音楽のライブがあり、缶ビールを飲みながら歌ったり踊ったりするのがブラジルの文化の一つです。

ゴミ箱は設置されていますが、その場に空きビンや缶を置いたりするシーンがよく見受けられます。

彼らの言い分としては、「ゴミを回収する人に仕事を与えているから問題ない。」ということでした。

別途ブラジルの小学校の先生と話す機会があり、「ブラジルでは生徒に掃除をさせると、その母親から労働をさせるなというクレームが来る。」と言っており、掃除=労働という価値観が根付いているのでした。

日本で教育を受けて住んでいれば、ゴミを適切な場所に捨てる、掃除をすることは、無償で行うことが常識だと思いますが、その価値観とは全くことなる掃除は労働として対価を得るべきものという考え方を知ったのはブラジルでした。

一方で、2014年ブラジルW杯で、Recife (レシフェ) という町まで日本 vs. コートジボワールの試合を観戦しに行った際、試合翌日に利用したタクシーでは、「昨日、日本人サポーターがスタジアムのゴミを拾ってから退場したのは、感心した。日本は試合には残念ながら負けたが、サポーター達は試合に勝利したことに値する。」と言っていたことを今でも覚えています。

同じブラジル人でも、掃除を労働と考える人もいれば、掃除は美徳だと捉える人も存在する、つまり "XXXだから、YYYなんだ" という、単一的な見方や固定観念で捉えることはできないと感じた時でした。





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