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まさか、僕は自分の人生を生きていないのか?---承認欲求の視点から---心に浮かんできた言葉(022)

こんにちは「てると大吉」です。
早朝の白蓮の花。配偶者が散歩の途中、撮影してきてくれました。
花言葉を調べると「清らかな心」とあります。厳しい環境に負けることなく美しい花を咲かせる姿。清々しさと潔さを感じます。

さて、「承認欲求」という言葉からどんなことを連想しますか。
子供も大人も、学校でも職場でも、SNSでも、行動の背景には「自分のことを見て欲しい。認めて欲しい。」という気持ちはあふれています。
例えば、子供はほめることが大切だとはよく言われます。社会でも誰かに認められたいという気持ちは仕事のモチベーションとなります。

ところが他者からの承認を求めることに次のような考えもあるのです。

先日の読書会で『*嫌われる勇気』を読みました。青年と哲人の対話形式のものですが、哲人は青年に次のように言います。

哲人 承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまり、ほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。

『嫌われる勇気ー自己啓発の源流「アドラー」の教え 』136頁  
著者 岸見一郎 古賀史健 2013.12.12 ダイヤモンド社

「他者の期待を気にしていては、自分の生き方ができない」ということでしょうか。(今回はこの部分だけ考えました。)

僕自身はどうだろうと自問してみると、こどものころは親の期待を感じ、その期待に応えたい(承認されたい)と将来を描いた自分がいました。

ただ、それだけではないのです。

この他者は親から友人や先生へ、配偶者(家族)へ、同僚へ、社会へと広がり、「どう承認されたいか(期待をなぞる)」だけでなく、話し聴くことで「自分はどうしたいのか」を僕はみつけてきました。その意味では哲人の言葉に納得します。ただ期待をなぞってはいないから。自分がどうしたいか考えることの大切さを哲人は言っているのでしょう。

僕たちは他者との関わりの中で生きています。他者の期待に応えようとするだけではなく、お互いがどう関わりたいのかを考えていると思います。
ならば、思うようにならないもどかしさも含めて、関わりそのものが人生なのでしょう。関わりのなかにこそ温もりも優しさもあるのです。

あの人が わかってくれた それだけで
前をむける 一歩進める  

承認欲求の表と裏を短歌にしたかったのですが・・・。いまひとつです。

自分がこうしたいという気持ちをわかってくれる人の存在は大きいですよね。だから自分も誰かのそういう存在になれたら・・・。なれるかなれないかはわかりませんが、素直にそう思います。

今日も読んでいただきありがとうございます。今週は広島・長崎と原爆の日が続きます。平和について改めて考え、白い蓮の花言葉を思い出しながら過ごせたらと思います。猛暑、酷暑の夏。みなさまどうぞご自愛を。

読書会(公立の図書館主催)7月の課題本
*『嫌われる勇気ー自己啓発の源流「アドラー」の教えー』
著者 岸見一郎 古賀史健 ダイヤモンド社 2013.12.12  

「課題の分離」とか「他者貢献」とか、考えたいテーマ満載です。

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