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なぜ、トレーナーは象の鼻だけを見てはいけないのか?


こんにちは!

日本で唯一の運動・栄養・休養による「正しい身体管理」の総合的な知識と考え方の本質が学べる

日本身体管理学協会事務局の新美です。

本日は「無知の知」を考えてみましたので、

もし宜しければ最後までお読みいただけると嬉しいです。

最近、私のベッドの枕の横には一冊の本が置いてあり、

それを寝る前30分くらいリラックスしながら読み

眠くなったら寝るというルーティンを取っているのですが、

その本が何かというと、こちらです。

出口治明さんの『哲学と歴史全史』です。

かなり分厚く、辞典のような本なのですが

内容はかなり引き寄せられるものがあり、

毎日少しずつかじっております。

今日はそんな著書からの気づきを一つ

トレーナーや治療家の皆さんに

シェアできればと思います。

おそらく「無知の知」という言葉を聞いて

「初めて聞きました」という方は

さすがにいないかと思います。

これはソクラテスの言葉で、

簡単に要約すると

「自分は何も知らない、ということを知る」

ということのようです。

ただ、最近ではこの無知の知は正しい言葉ではなく

「不知の自覚」

と言うらしいです。

不知であるということを自覚する

と言うことから、

こちらの言われるようになったそうです。

また、本書ではこの不知の自覚を

『暗闇の象を数人で撫でる様』に例えています。

これはどう言うことかというと

『不知の自覚』通称、無知の知は、例えるなら、暗闇の中で何人かの人が集まって像を撫でている状態と似ている。鼻を撫でた人は、細長い生き物だと思い、足を撫でた人は太い柱みたいだと思い、耳を撫でた人は大きなうちわみたいだと思う。誰もが本当の象の姿を知らないまま、自分は象の姿形を知っていると思っている。

これは面白い例えだと思い、

改めてネットで「暗闇の象」と調べてみると

「群盲象を評す」と言う言葉があることを知りました。

また、これは童話にもなっているそうで、

これ自体が、私にとって新たな学びになったわけですが、

この例えはトレーナーの専門性にも非常に通ずるものがあるなと。

『人間』というものを見た時

ある人は運動学的な観点からその人を見て、

ある人は栄養学的な観点からその人を見る。

またある人は心理学的な観点からその人を見て、

また別のある人は内科的な観点からその人を見る。

みんなそれぞれ自分の観点から見れば正しいことを言っているし、

決して嘘はついていないのかもしれません。

ですが、それぞれの人の観点は

人間の一部を見ているに過ぎないと言うことを

理解しなければなりません。

一般的にこのようなことは

「木を見て森を見ず」

と言ったりしますが、

私の中ではこの

「群盲象を評す」

と言う言葉が非常に腹落ちしましたので

今回ご紹介させて頂きました。

宜しければ本日の内容も

参考にしていただけたら嬉しいです。

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次回、第三期(6月を予定)の身体管理指導士養成講座の募集を4月から行いますのでお楽しみに!

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