新自由主義が貧富の格差を拡大し、貧富の格差がポピュリズムを生む

ポピュリズム(大衆迎合)考。
コロナ前まで、ポピュリズムが新聞などで強く批判されていた。このままでは大衆に迎合したポピュリズムが生まれ、政治がゆがめられるのではないか、と。ポピュリズムはかつてナチスも生んだもの。だから警戒すべき、と書いてあるのだけど。

そもそもポピュリズムがなぜ生まれるのかは、不思議と書いていない論説がほとんど。私からしたら、自明のことのように思う。貧富の格差が大きくなった時、ポピュリズムは生まれるのだと思う。では、貧富の格差はなぜ大きくなるのか?それを是正しようとしないために大きくなるのだと思う。

戦前、ナチスが生まれる背景には、ドイツの貧困があった。第一次世界大戦で天文学的数字の賠償金を課され、ドイツ経済はハイパーインフレなどが起きて無茶苦茶になった。そんな中でも金融に携わる人間は儲けたりしていた。マジメにコツコツ働く人間は、不満と憎悪が蓄積していた。

ナチスはそこに目を付け、大衆の不満を解消するような政策を次々に打った。だとすれば、もし貧富の格差を放置しない方策がドイツで実施されていれば、ナチズムは生まれなかったかもしれない。

共産主義も、ある種、貧富の格差が生んだもの。産業革命以来、労働者は生きるギリギリの賃金に抑えられ、利益は経営者と資本家に集中した。この不満、憎悪が共産主義を生み出すエネルギーとなった。ならば、貧富の格差こそが共産主義を生み出したと言える。

新聞はポピュリズムを批判するけれど、「愚かな大衆が、愚かなリーダーを選ぶ」のがポピュリズムだと批判するけれど、そもそも貧富の格差を放置するからポピュリズムが生まれる、という点を全然指摘しない。そこは頬かむりする。おそらく、そこは新自由主義の論者には都合が悪いからだろう。

ポピュリズムを生み出したくないなら、貧富の格差を是正すること。そうすれば不満は解消され、ポピュリズムは生まれようがなくなる。しかしアメリカや日本では、長らく新自由主義が力を持ち、貧富の格差を大きくする方向に政治が動いた。貧しい人はどんどん貧しくなる政策がとられた。

新自由主義は、自らがポピュリズムを生む元凶だということに自覚がないのか、自覚があるけど都合が悪いから黙っているのか、どちらかなのだろう。
アメリカでトランプ氏が大統領になったのは、まさに貧富の格差を放置したことが大きな原因のように思う。この点は、共和党も民主党も罪が深い。

共和党は経営者と投資家に有利な政治を、民主党はITベンチャーの経営者と投資家に有利な政治を。どちらの党も、力を入れる経営者に違いがあるだけで、経営者と投資家という経済的に有利な人たちに、ますます有利になるような政治を行ってきた。その結果、単純労働の人たちとの賃金格差が拡大。

ラストベルト(さびた地帯)と呼ばれる場所で暮らす人たちは、まじめにコツコツ働く人たちだったのに、時代遅れの産業にしがみついているからそうなるのだ、といわんばかりに放置されてきた。貧困と失業に苦しむままに放置されてきた。その憤懣がトランプ氏を大統領に押し上げた。

さすがにバイデン大統領に変わると、貧富の格差を放置することの危険性に気がつき、必死になって是正しようと動いている。しかし脱炭素の問題も解決しなければならない。ITビジネスをますます伸ばさねばならない。しかしその分野はなかなか雇用を増やさない。ジレンマに陥っている。

トランプ氏は、不満を持っている労働者たちに賃金を渡せるなら古い技術だろうが二酸化炭素が増えようが知ったことか、と振り切っている。このため、未来を見据えたバイデン大統領は、貧富の格差を是正するという点でトランプ氏に後れを取りがち。

これは、バイデン大統領の支持基盤である民主党の怠慢、そしてその支持基盤であるIT企業の怠慢が長らく続いたことのしっぺ返しだと言える。IT企業は、「自分たちは努力した、しかも賢かった。賢くて努力した人間が富むのは当然、その努力をしなかった人間は貧しくて当然」と考えた。それが20年続いた。

もしその20年の間に、貧富の格差を是正し、ラストベルトの人たちの雇用をどうにか改善する努力をしていたら、アメリカは今のような状況にはなっていないだろう。IT企業の経営者たちも、貧富の格差をこのまま放置しては危険だ、と気づいているけれど、これまでの怠慢があまりに大きかった。

今のアメリカの状況を見ていると、貧富の格差を放置することがどれだけ危険で怖いことか、がよく分かる。貧富の格差を放置すれば、リクツを超えた自暴自棄な行動を人々に促す恐れがある。ポピュリズムは、貧富の格差が生み出すものなのだから。

貧富の格差を放置してきたツケを、私たちは払わねばならない。そうしつつ、未来への手も打たねばならない。トランプ氏が再び大統領に返り咲けば、IT企業の経営者など、労働者をバカにしてきた連中の鼻を明かすことができ、「ざまあみろ」と一時的な快は得られるが、その代わり、未来を失う。

でも、未来を失うことになろうとも、貧富の格差を放置した連中に恨みを晴らさずにおかない。それがポピュリズムの怖いところ。いや、貧富の格差を放置することの怖さ。冷静に、話し合って決めることができなくなってしまう。貧しさの放置は、そうした危険を生み出す。

新しい時代に適応しなきゃいけないのと同時に、貧しさを放置してきたツケも同時に支払う。私たちは、過去の怠慢のために、それをしていかなければならない。難しい時代だが、辛抱強く進めるほかないだろう。

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