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出来損ない娘は"自慢の息子"と結婚していいのか?

「まあ、自慢の息子ですから」

結婚相手の父親は、私が伺った挨拶のときも、その後の両家顔合わせのときも、決まってそう言った。ほどよく酒が回って、機嫌良さそうに。それだけ繰り返すのだから、本心からの言葉なのだろう。
私はその言葉を聞くたびに憂鬱になった。ばか親だと思ったわけではない。おっしゃる通りだからだ。

結婚相手は、それはよくできた“自慢の息子”だった。
一流大学にトップの成績で入り、学費は四年間免除。安定した職業に就き、仕事ぶりも評価されて順調に出世している。
頭が良く、スポーツも得意で、快活で、人に頼られる。ついでに言うと料理上手だし運転も上手いし、いつも落ち着いていて不測の事態に強い。
嘘みたいだけど実在の人物なのである、これが。

対する私たるや、親の金で行かせてもらった大学を留年。5年かけてあくせく卒業しても就職先を見つけられず、ぷらぷらし続けるのもしんどいので「専業主婦」という名目をいただこうとしている身である。みじめだ。

小中学生のときのガキ大将で、大声で下ネタを叫んでは走り回っていたバカな男子は、高卒で大工になっていまや棟梁であるらしい。個人事業主だ。私が親に年金を払ってもらっている間に、向こうは自分で確定申告をしていたのだ。なんという差だろう。

お金の面を抜きにしても、私は勉強も運動も不得手だし、料理も運転もできない。コミュニケーションがド下手くそで、元から少ない友達は近年減る一方だ。なんだかよくわからないが自己肯定感が異様に低く、卑屈だから友達ができないのかもしれない。
まあ、二十歳も過ぎてコミュニケーション能力のことを「友達と仲良くする能力」と思っているのが間違いなんだろう。でも、社会に出たことがないのだから仕方ない。

なにを言いたいかよくわからなくなってきたが、つまり、
「結婚相手はあまりにも素晴らしい人間なので私にはもったいない」
と思うのだ。


結婚5日前にもなってなにを言っているのか、と思うが、これは交際5年の間に何度も何度も考えたことなのだ。本人にも数え切れないほど言った。

交際相手はそのたび、
「何かができるから、してくれるから好きなわけじゃない。君が君だから好きなんだよ」
と噛んで含めるように言ってくれた。
夢のような台詞だし、言われた私は感激して「ありがとう」と抱きつくべきなのだろうが、私は納得できなかった。

相手の気持ちを疑ったわけではない。本心からそう言っているのだとわかっている。
わからないのは、自分の価値だ。
こんなに素晴らしい人が、なぜ私のような出来損ないを選ぶのか?

「あなたにはもっとふさわしい人がいる。あなたの人生に私はいない方がいい」

未だに、そう思っている。あの人の輝かしい人生に影を落とすのは、私だ。


だから、決めていることがある。
結婚してから、もしも相手に好きな人ができたら、四の五の言わずに身を引くことだ。

彼は一生私のことが好きだと言ってくれるし、私もそのつもりだけれど、人生なにがあるかわからない。私より魅力的な人、気の合う人、一緒にいて楽しい人なんていくらでもいるはずなのだ。だってあんなに人好きのする人なのだから。
私は生活が苦しくなるだろうけれど、福祉でも親でも頼って暮らせばいいのだ。

結婚する前からそんなことを考えるなんて、と言われそうだが、生来心配性で、最悪のケースを考えずにはいられない性質だから仕方ない。


まるで私が相手のことを好きじゃないみたいだけれど、その逆だからややこしいのだ。
好きで仕方なくて、尊敬していて、憧れていて、最高の人生を歩んでほしいと願っている。

つまり私は、崇拝している相手が私のことを好きだということを、5年経ったいまでも理解できていないのかもしれない。

たとえるなら、『君に届け』の風早くんが死ぬほど好きだけど、自分が風早くんとイチャイチャしたいわけではなく、あくまで風早くんは爽子と幸せになってほしい、みたいな……。夢女子じゃなくてNL厨みたいな……。(急にオタクが出てすみません)

でもややこしいのは、私自身も彼と過ごす幸せを知ってしまったということだ。

一年ほど前だろうか、本気で別れようと思ったことがある。浮気されたわけでも喧嘩したわけでもなく、ただただ、私の病状その他で相手に迷惑をかけ続けるのが心苦しくて、もう相手の人生を邪魔したくなくて、別れ話をしようとした。

でも、できなかった。

「あなたが私よりちゃんとした人と出会って、その人と幸せになって、私たちは違う人生を送ることになるけど、いい友達みたいな関係になって」
とそこまで話したところで、ぼろぼろ泣いてしまった。自分から言いだしたことなのに、いやだあ、と言ってわあわあ泣いた。

想像してしまったのだ。彼の隣を歩く知らない女の人を。私の知らない彼の幸せを。そして、彼のいない私の人生を。

悲しくて悲しくて耐えられないことだった。

だから私は、「私なんかがこの人と付き合うべきじゃない」と思っているくせに、結婚目前までこぎつけてしまったのだ。


“自慢の息子”たる彼と、“出来損ないのうらなり娘”こと私は、5日後に結婚する。

それが相手の人生にとってプラスなのかどうか、私にはわからない。
でも、私がこうして引け目を感じていることこそが、彼を悲しませるのだろうと思う。

プラスになれなくても、せめてマイナスにはならないように。
顔を上げて、猫背を伸ばして、眼鏡のレンズもちゃんと拭いて。

太陽みたいな人を追い続けたら、私もいつか、ちっちゃな花の一輪くらい咲かせられるだろうか。

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