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エッセイ・評論など

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音楽、その他の芸術や社会問題についての評論やエッセイなど。力を入れて書いたものから、気軽に一気に書いたものまで。とりとめのない雑感も。
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#ヴァイオリン

生の哀しみ──向井響の新作「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」

生の哀しみ──向井響の新作「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」

 生は、始めさせられてしまったものである。自ら望んでこの世に生まれるということは、誰にもできなかったはずだ。私という存在は、存在させられたのである。自分が生まれ、生きていることにたいして、一度も疑念を抱いたことがないという人でも、この前提を否定することは、決してできない。
 私は特に反出生主義者を自認しているわけではない。けれども、自分のものであれ他者のものであれ、生の過程で直面する苦悩の根源を探

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幸福と自省──アルゲリッチ、クレーメル、ディルヴァナウスカイテによる演奏会

幸福と自省──アルゲリッチ、クレーメル、ディルヴァナウスカイテによる演奏会

 ピアニストは、その長い銀髪に暖色の照明を反射させながら椅子に座ると、会場の響きを確かめるように、ニ短調の主和音をそっと、ペダルをかけた軽やかなアルペッジョで弾いた。眼鏡をかけた白髪のヴァイオリニストは、そのアルペッジョがたんに音としてではなく、すでに音楽を含んでいるかのように美しく広がったからか、和音のAの音に合わせて調弦することなく、ただその余韻に耳を澄ませ、ピアニストに合図だけを送った。
 

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心の重みーー堀米ゆず子のバッハ

心の重みーー堀米ゆず子のバッハ

 ヴァイオリニストの堀米ゆず子さんのJ.S.バッハの無伴奏ソナタとパルティータのアルバム(2016年)は、私のヴァイオリン観を覆すほどの圧倒的な演奏で、今でも愛聴盤の一つである(その演奏については以前別の場に書いた)。彼女が昨年11月11日にサントリーホールで開いた自身の演奏活動40周年を記念するリサイタルは、そのバッハの無伴奏ソナタの第1番、第2番、パルティータの第1番、第2番で構成されていて(

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未来を拓く音――寺内詩織のバッハ

未来を拓く音――寺内詩織のバッハ

 ロビーの中央に、誰でもない裸の男が立ち尽くしている。エレベーターホールを挟むかたちで、反対側のロビーにも、直線上に逆を向いた同じ男が立ち尽くしている。そこで、彼だけが時間を止めてしまったかのように。
 多くの人は、彼の存在をほとんど気にも留めずに、あるいは一瞥をくれるだけで通り過ぎてゆく。中には立ち止まって彼を眺める人もいるが、ものの数秒である。気にはしているが、避けたという人もいるかもしれない

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