自己肯定感が低い、の結論
勤務先の看護師が、休憩時間に「先生って自信満々って感じで羨ましいです」と話しかけてきた。
突然の話に唖然としつつ、はぁ、というため息にも似た返事をした。
「私は自己肯定感低くて、もう最悪ですよ」
と続けるので、こちらが本題なんだなと思って相槌を打った。
「自己肯定感が低いんですか」
「そうなんですよ、自分に自信ないし、何をやるにも人の目が気になっちゃうんです」
看護師はどこか嬉しそうに、自分の生きづらさを話した。
個人的には、自己肯定感が低くても高くてもどちらでも良いと思う。
自己肯定感が高ければ小さなことでは悩まない。逆に低ければ自分のことを謙遜して物事を考えられる謙虚な人間ということになる。「私なんて」や「愚息」、「弊社」などへり下った言葉遣いから考えても、日本人の精神性は自己肯定感が低い人の方が多いのだと思う。
自己肯定感が高すぎれば、ナルシスト化してしまい、周囲の話を素直に聞けずに嫌われていく。逆に自己肯定感が低すぎれば、自分のことを大事にせず破滅的な行動を取ってしまう。自己肯定感が高いにしろ低いにしろ、重要なのは程度で、どちらかでも極端な方へいけば悪い結末が待っている。
「私は人より仕事もできないし、掃除とかも苦手で。どうしたら良いんですかね」
看護師の話をまとめると、自己肯定感が低くて他人よりできないことが多い自分に自信が持てず、生きにくいのだという。
しばし看護師の自虐的な話を聞き、落ち着いたところで私はメモ帳を手に取った。
「自己肯定感って、こういうことだと思うんですよ」
「自己肯定感の低い人って、自分に対する期待が大きいんじゃないですか。だから期待するほどの成果が得られなくて自己肯定感が育たない」
①をボールペンで囲む。周りの人と比べてできないと悩む人は、自分は周りと同じことができるはずだと期待しすぎている。実際には得意不得意があるし、周りのレベルが高すぎる可能性もある。
「そのタイプが、自分のことを褒められるような成果を積み重ねていけたら、②のように自己肯定感が高い人になる」
「これが先生タイプですか」
その質問に苦笑し、あえて答えずに話を続けた。
「最後が自分への期待が小さいタイプ。他人と比べたりせず、できないことがあってもできない自分をそのまま受け入れるから、自己肯定感が保たれている」
「そうかもしれないですね」
咄嗟に書いたメモながら、そこに看護師の悩み解決のヒントが隠されていた。自己肯定感を高めるには、2つの方法がある。
一つ目は、努力して、自分に期待している以上の成果を手に入れること。成果は、仕事の結果でもいいし、部屋をきれいに片付けることでも、美容に励むことでもなんでもいい。
二つ目は、自分への期待値を下げること。ありのままの自分を受け入れて、他人と比較して劣った部分を悩まないこと。
そしてその二つを心がけること。これが自己肯定感の高さにつながるのではないか。
概ねそのようなことをまとめて看護師に話すと、「分かりました、頑張ってみます」と言い残してそそくさと離れていった。休憩時間もそろそろ終わる頃だった。
帰り道、気になってTwitterを検索すると、「自己肯定感を高める方法は・・・」「自己肯定感が低くて悩んでる人へ・・・」などのアドバイスがたくさんヒットした。私が話したこととほとんど同じ内容だった。
その一方、実際に自己肯定感が低くて悩んでいる、というアカウントはほとんどヒットしなかった。
「自己肯定感が低い」という悩みの解決策めいたものはほとんど出尽くしており、現在はその解決策をいかに実践していくか、というところに移っているのかもしれない。
私が長々と講釈を垂れたことは、「最近太っちゃって」と言う患者さんに「じゃあ今日から食事制限と適度な運動、あとは禁酒を始めましょう」と返すようなものだったのかもしれない。そんなことはもう分かりきったことなのだ。
この場面での正解は「大変ですね」の一言で、その後続いたはずの看護師の話に耳を傾けることだった。
そして具体的で実行可能そうな、努力の方向性や自分への期待値の下げ方を一緒に考えていくことだった。
「自己肯定感が低くて悩んでいる」ともしまた誰かに相談されたら、次はしっかりと話を聞くところから始めたい。