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一冊のノート

皆さんには、思い出したくない、苦しかった過去はあるだろうか。

私は小学校の高学年頃、学校で仲良くしてくれてた子達に突然無視されたり、意地悪やひどいことをされてたことがあった。
その時、私は一冊のノートに辛いことや学校に行きたくない、死にたい、消えてなくなりたい、私が何をしたんだ、と暗い気持ちを延々と書き連ねていた。

自分の存在意義はなんなのか。ずっと自分というものが好きになれなかった。
仲間はずれにされてひとりぼっちな奴、とクラスじゅうの子達に見られている気がして、自分がとても恥ずかしかった。

幼い頃というのは、まだ精神的にも未熟で自意識も強くなりがちなのだろうな、と今となっては思う。周りの目ばかり気になっていた。
誰にも相談できないし、母親は優しかったが、基本的にどこか否定的で常に怒ってばかりいて、友人関係のことを相談しても、私にはできないことをアドバイスされるだけだった。
そのため、母親に頼ることも半ば諦めていた。

その後、ノートはゴミ箱に捨てた。
しかし、そのノートは母に見つかった。

夜、母に呼ばれてリビングに行くとテーブルの上にノートが置いてあった。
滅多に泣かない母が、泣きながら私に

「気づいてあげられなくて、ごめん」

と言った。

この時のことは一生忘れないと思う。
母の涙やその時の表情を見た時に、自分はなんて馬鹿なことをしたんだろうと後悔した。

ノートは絶対に誰にも見つからない場所に隠しておかなきゃいけなかった。誰にも気付かれない方法で処分しなきゃいけなかった。
ゴミ箱に捨てたのは「もしかしたら、お母さんが見るかも…」と淡い思いがあった。
わたしなりの精一杯のSOS。わたしはこんなに辛い思いをしていたんだから!と間違った形でアピールしてしまったのだ。
それを見た母の気持ちも考えずに。

母はいつだって私を見捨てずに、味方になってくれていたのに。
自分が母親になったいま、子供にそんなことをされたら…と考えると胸が締め付けられる。

1人で抱え込まずにもっと自分の気持ちに素直になっていればよかった。
そうしたら母を傷つけずに済んだかもしれない。でも、当時は母のことを思いやる余裕なんてなく、辛くて辛くて毎日が苦しかった。
そんな中で、毎日逃げずに学校に行ったのは本当にえらかったね、と自分を褒めてあげたいし、自分の子がもし同じことになったら、逃げ道を作っておいてあげたいと思う。

私は成人してしばらく経ってから、自分が発達障害:ADHDなのだろうな、という自覚が生まれ、診断に至った。幼少期や思春期の苦しかった過去の辻褄が合った気がした。
空気が読めず、余計な一言を言ったりしていたのかもしれない。自分が傷ついた以上に、周りの友人やその他の子達を傷つけていたのだろうと思う。
当たり前だが、そんなことは子供の頃は分からなかった。なんで怒っているんだろう。何で怒られているんだろう。怒っている理由が分かっても、言っちゃいけないことだったんだ…と後になって気付いたり、思うことばかり。自分でのコントロールが難しい。
他の子がいつも羨ましかった。なんで、私はあの子みたいにできないんだろう。

今になると、母がよく怒っていた理由も分かるし、苦労をかけたな、と思う。それでも。

幼少期の頃に、発達障害の特性が判明していたら
もっと違った未来があったのかな。

どうしても、そんなことを考えてしまう。
しかし、私は人の倍以上のミスや失敗をしてきたので、"たられば"が嫌いだ。
人の倍以上悔やみ続けてきたから。ああしてい"たら"、こうしてい"れば"。悔やんだって苦しんだって、過去は変えられない。考えたって無意味なことだと思うようになった。大事なのは未来だ。過去の失敗を糧として今を生きていかなければならない。
アメリカのとある哲学者、ジョージ・サンタヤーナはこう述べている。

Those who do not remember the past are condemned to repeat it.
(過去を覚えていない人は、過去を繰り返す運命にある)

たらればを言うのではなく、失敗やミスをなかったことにして、忘れてしまうのでもなく
その経験を忘れずに、糧としていくこと。

ようやく私も、こういった苦しかった過去を振り返り、向き合うことができるようになってきた。
私は色んなつらい経験をしたからこそ、できることがあると思う。

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