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ADHDという診断を受けてよかった、と感じたこと

私は去年の3月にADHDの診断を受け、それから1年以上が経過し、色々な変化がありました。

先日、姉から職場にそれっぽい人がいる、と相談を受けていた際に「shinoは、ADHDってことが分かってから、色々と良くなったよね」と言ってもらえたことが、とても嬉しかった。
自分自身、とてもいい変化を感じているので、今日はそれを綴っていこうと思います。

1.自分の特性から逃げずに向き合うことができるようになった

そのおかげで、特性のことを勉強するようになり、知識が増え、先回りして対策を立てれるようになった。そうすることで、仕事や生活上の失敗や苦労が軽減した。
また、失敗してしまってもある程度は仕方がない、と開き直りができるようになった。必要以上に凹まなくなった。

2.うつ症状の改善

自分は自分のまま居てもいい。いまや、特性のことを打ち明けた上で、私の存在を認めてくれる人達は周りにたくさんいる。そのおかげで自己否定をすることが減った。

そういった経緯もあり、結婚し家庭を持ち、子供を産み育てる覚悟が持てた。私の最大の自己実現は昔から、「子供を産み、立派に育てること」にあった。
社会に出て、うつ症状が募るにつれて「自分は子供を持つ資格なんてない」「子供を不幸にしてしまう」と不安ばかりだった。
パートナーとの関係もうまくいかない事ばかり。それでも、今の旦那さんとは知り合ってからは、特性のことも打ち明けても、旦那さんにとってはそんなことは「大したこと」ではないとのことで、「shinoはshinoだから。そのままで居ていいよ」と言ってくれた。本当に頼もしい人と出会うことができた。

今も不安になってしまう事や、気分の浮き沈みはどうしてもある。不調の原因を探しても見つからないこともある。それでも「死にたい」とは全く思わなくなった。周りのサポートがあるから、なんとかなっている。

3.持て余していた気持ちをnoteで昇華できるようになった

ADHD特性のひとつとして、周りの物事に敏感=感受性が高いという特徴がある。
クリエイティブな才能を持っていると言われているADHD。そういった長所を活かすために、ブログでも始めたいな、と思えるようになったのだ。
あるイラストレーターの人の記事に書いてあったことに強く共感した。

「クリエーターとは総じて痛い人だ。日常のコミュニケーションだけでは満足できないから、モノを作り、更に自分を知って欲しいと望む。作るモノの精度によって、痛さは見えにくくなるが、基本的にクリエーターとは痛い人と断言して間違いない。」
引用: https://www.news-postseven.com/archives/20201107_1610268.html?DETAIL
●イラストレーター・コラムニスト: ヨシムラヒロム氏
※記事をご覧になった方は分かったと思いますが、私は恋愛リアリティーショーが大好きです。ここではそれについては割愛します。


少し脱線しましたが、私はnoteへの投稿を通して、持て余していた気持ちを誰かに読んで欲しかった。ネットで匿名で投稿するのだから、自分を変に取り繕う必要もない。私の思いに対しての反応が知りたかった。反応が無かったらそれはそれで別に良かった。
とにかく何かで表現したかったのだ。

あくまで趣味の範疇ではあるが、 noteに投稿することで自分も「クリエーター」として、表現者の一員になることができた。知り合いが全くゼロの状態から、自分の投稿をみて、フォローしてくれている人も最近は少しずつ増えている。
他者に記事を読んでもらえるようになっている。
こんなに嬉しい事はない。
何よりの、自分への自信に繋がったのだ。

4.過去のトラウマを克服できた

私はこれまでの人生で数え切れない程、悲しい出来事や辛かったことに遭遇したと言える。主に人間関係で。
幼少期や思春期、専門学校時代、新卒入社時、などに遭遇した数々のトラウマの記憶を掘り起こし、その時の感情を思い出したりしながら振り返ることが増えた。モヤモヤしていた過去の自分と向き合ったのだ。noteでも時々投稿している。

そして答え合わせが出来た。なぜあの時ああされたのか、こう言われたのか。ああなったのか。
自分の特性を絡めて考えてみると、周りの人たちを傷つけてしまっていたんだなぁ、と思ったし、半ば一方的に恨んでいた人に対する考え方も少し解きほぐすことができた。

そうしていくと、ああ、自分はいつまでも過去に囚われている。と気付いた。
今でも周りの目が気になってしまうのは仕方がないが、自分に向けられている周りの視線が、小中学生時代のころの感覚のまま、変わっていなかったのだ。
小中学生くらいの頃が1番ひどい悪口や陰口、嫌がらせを受けていた時期だった。しかしこういった小中学生の頃というのは、自我が芽生え始めたばかりのまだ精神的に未熟な時期。社会性などもまだまだ育っていない時期だと思われる。今、自分の周りにいる人達はほとんどが精神的に成熟した大人達だ。
自分が成長したように、周りに居る人達も確実に成長しているのだ。いい大人なのだから、周りの人はいちいち小さい事は気にしないはずである。気にしても、口には出さない。
それでも何か言ってくる人は一定数居るかもしれないが、そんな少数の人の顔色ばかり気にする必要があるのか?
そんな考えにまで及ぶようになった。


***

ひとつ、大事なことがある。それは「自分と向き合う」ということ。
私はこの診断を受けてから、向き合うきっかけをもらったように感じている。
意外と、世の中は障害を持つ人達に結構優しいんだなと感じることが多い。
診断を受けるのはやっぱり勇気が必要だった。それでも、私はそこから1歩前に進むことができたし、とてもいい変化を体感した。
日常生活に困難さを感じていない方は無理に診断を受けなくてもいいと思う。自分の特徴として、付き合っていけばいい。でも困っていて、しんどさを感じている人は絶対に専門家に相談することをお勧めする。1人で抱え込む事はとてもつらいことだから。

生きづらさを抱えている方にこの声が届きますように。

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