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天から届く、雪の便りと希望の言葉 ~アドヴェントに、聖書で「雪」を探してみたら

 昨日から、今年のアドヴェントが始まりました。待降節などとも呼ばれる、キリスト教でクリスマスを待ち望む期間です。

↓ドイツ連邦共和国大使館・総領事館のサイトの説明がわかりやすいです。

 北海道で生まれ育った私にとって、クリスマスといえば、それは真っ白い雪に覆われたホワイトクリスマスでした。
 いまは横浜に住んでいて、ここではめったに雪は降りません。あたたかくて暮らしやすいのはうれしいのですが、アドヴェントに入ると、やはり雪が恋しくなります。

 noteで写真カテゴリーを開くと、最近は北国の方々から、ちらほらと雪の写真が投稿されています。寒くてたいへんだろうと思いつつも、それらの写真を眺めるのが、このところの楽しみです。積もった雪、とけかけた雪、凍った雪、いろいろな雪の写真があり、見るたびに、ひんやりと湿った雪の匂いが鼻の奥によみがえってくる気がします。

 ふと思い立ち、聖書で「雪」が出てくる箇所を調べてみました。検索すると、けっこうたくさんあって、びっくりでした。出エジプト記からヨハネの黙示録まで、旧約にも新約にも出てきます。
 しかも、素敵な聖句があるのです。

 たとえば、こちら。

雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。
(イザヤ書55:10 聖書新共同訳)

 ここだけでもなんだかじんとくる言葉ですが、続く11節を読んで、さらに感動しました。

そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。
(イザヤ書55:11 同)

 わたし、というのは主なる神です。

 そして、私はここから、新約聖書にある↓こんな一節を思い出しました。

言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
(ヨハネによる福音書1:14 同)

「言(ことば)が肉となって、わたしたちの間に宿られた」とは、「父の独り子」、つまりイエス・キリストのこと。

 天から降り、大地を潤し、私の心を潤してくれる雪のように、イエスさまも天からきて大切なものをくださった、そんなふうに感じました。

 イエスさまが私にくれた大切なもの、それは希望です。

 そのイエス・キリストが、この世に生まれてきたことを祝う日が、クリスマス。私にとっては、希望がもたらされたことを喜ぶ日といえます。

 あと4週間、クリスマス前のこの期間は、1年のうちでほかにない、独特な気持ちになります。しっかり味わい、自分の心を見つめて、思索を深めていきたいなあ。

 雪が出てくる聖句には、ほかにも素敵なものがあったので、アドヴェントの期間にまたご紹介していきますね。

 ちなみに、さっきのイザヤ書の続きには、こんな〝希望〟が綴られています。

あなたたちは喜び祝いながら出で立ち、平和のうちに導かれて行く。山と丘はあなたたちを迎え、歓声をあげて喜び歌い、野の木々も、手をたたく。
(イザヤ書55:12 同)


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、scoop_kawamuraさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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