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孟子――シンプルな全訳

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忙しい貴方が、ひまなときにボーッと眺めることができる全訳を目指しています。性善説、王道と覇道、革命説……そして【仁義】。 ごくごくシンプルな『孟子』の全訳です。(制作途中) *…
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2020年12月の記事一覧

『孟子』80滕文公下―孟子と公孫丑の対話(11)君子が修養すべきこと

*今回は弟子の公孫丑との対話です。 公孫丑(こうそんちゅう)は質問して言った。 「先生が…

『孟子』79滕文公下―孟子と戴不勝の対話 まわりの大切さ

*戴不勝(たいふしょう)は、宋(そう)の臣下です。彼は、宋王の側近である薛居州(せつきょ…

『孟子』78滕文公下―孟子と万章の対話(1) 恐れる前になすべきこと

*宋(そう)という国があります。 殷王朝を祖とする古い国です。すこし春秋戦国史に詳しい方…

『孟子』77滕文公下―孟子と彭更の対話 それは傲慢か

*さて、ここまで孟子とさまざまな人物との対話を見てきました。 ですが孟子が、実際にどれほ…

『孟子』76滕文公下―孟子と周霄の対話 仕官の作法

*周霄(しゅうしょう)は、魏の人です。 戦国時代の魏は、梁恵王篇の「梁」の別名で、むしろ…

『孟子』75滕文公下―孟子と景春の対話 縦横家批判~大丈夫、おとこの道

*当時、縦横家と呼ばれる人々がいました。 彼らは、諸侯間の勢力均衡を目的とした、“合従連…

『孟子』74滕文公下―孟子と陳代の対話(2)趙簡子と王良~道を曲げず

*今回、登場する趙簡子(ちょうかんし)は、かつて春秋時代後期の晋の有力氏族であった趙氏の当主です。趙という氏でもわかるように、彼の子孫が後に、戦国七雄の趙を建国します。 *さて、前回の孟子の言葉はつづきます。 ……。 むかし、趙簡子(ちょうかんし)は、狩猟をおこなった際、王良(おうりょう)が御者をつとめる馬車に、腹心の嬖奚(へきけい)を乗せて二人に狩りを行わせた。 そして二人は、一日かけて一匹も獲物を狩ることができなかった。 嬖奚は、趙簡子に報告して、このように言った。

『孟子』73滕文公下―孟子と陳代の対話(1)信念を曲げず~ある虞人のこと

*今回は、弟子の陳代(ちんたい)との対話です。 陳代は、引きこもってしまった孟子を諭して…

『孟子』72滕文公上―孟子と夷之の対話 墨家批判~赤子を守ること

*この時代、諸子百家のなかでも、大きな勢力を誇る、墨家と呼ばれる集団がいました。 言わず…

『孟子』71滕文公上―孟子と陳相の対話(6)許行批判~価値はひとしからず

*前回まで、長々と批判を浴びせられた陳相ですが、それでも孟子に反論します。 陳相はこたえ…

『孟子』70滕文公上―孟子と陳相の対話(5)許行批判~夷狄に変ずることをただす

*前回の、孟子の言葉はさらに続きます。 ……。 私は、中国によって夷狄が変わったという話…

『孟子』69滕文公上―孟子と陳相の対話(4)許行批判~聖人の悩みと農夫の悩み

*前回の、孟子の言葉はさらに続きます。 …………。 尭は、舜のような人物を得られないこと…

『孟子』68滕文公上―孟子と陳相の対話(3)許行批判~聖人に暇なし

*前回の、孟子の言葉は続きます。 ……。 尭(ぎょう)の時代、天下は、平和にはほど遠く、…

『孟子』67滕文公上―孟子と陳相の対話(2)許行批判~心を労する人、力を労する人

*前回の孟子と陳相の対話は続きます。 孟子は、あらためてこたえた。 「穀物を、瀬戸物や農具と交換したから、陶工や鍛冶屋を苦しめて、瀬戸物や農具を取りあげている。と、いうことにはなりませんよね。 逆に、陶工や鍛冶屋が、瀬戸物や農具と穀物を交換したからといって、どうして農民を苦しめている、ということになるのでしょうか。 それに、そこまでおっしゃられるなら、許行先生は、なぜご自身で陶芸や鍛冶の作業をされないのですか。 自分の邸宅の中で、ものを作って使うことを諦めて、なぜわざわ