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『孟子』76滕文公下―孟子と周霄の対話 仕官の作法

*周霄(しゅうしょう)は、魏の人です。
戦国時代の魏は、梁恵王篇の「梁」の別名で、むしろ魏という名称のほうが有名です。
さて、
周霄は、孟子が誰にも仕えていないことを知り、自国の魏に仕官させようと、それとなく説得しにやって来ました。

周霄は質問して言った。

「古の君子は、どなたかに仕えるものだったのでしょうか。」

孟子は言った。

「仕えていましたよ。
言い伝えによれば、このように言われています。
〈孔子は、三ヶ月主君がいなければ、物足りずにモヤモヤとされていたご様子であった。そして、国境を出る時には、必ずどなたかにお仕えするために、手土産を持たれたものだ。〉

それに公明儀(こうめいぎ)も言っております。
〈古の人は、三ヶ月、仕える君主がいなければ、その人を心配して、葬式の弔問のようにたずねたものだ。〉」

周霄はたずねた。

「たった三ヶ月、その人に主君がいないから弔問するというのは…、せっかちすぎではありませんかね。」

孟子は言った。

「士が、位を失うということは、諸侯が国家を失うのと同じことです。

『礼』に、このようにあります。
〈諸侯は、宗廟を祀るための穀物を植えた籍田(せきでん)を耕し、収穫した黍(もちきび)と稷(うるちきび)を盛り付けてお供えすること。
その夫人は、蚕を育て、とれた糸で、祭祀に着る衣服を織ること。〉

ですが、犠牲も育たず、お供えのキビも汚れていて、祭祀に着る衣服も揃えることができない。
こうなっては、あえて祭祀を行うことはしないものです。

ということは、士も、祭祀を行うために与えられる圭田(けいでん)がなければ、やはり祭祀を行わないのです。

生贄や祭祀の器や皿、それに衣服を整えることできなければ、祭祀は行わないのです。ですから、もちろん宴会も開きません。

ということは、喪に服して弔問するのと同じことですよ。」

周霄は、さらにたずねた。

「孔子は、国境を出たときに必ず手土産を持たれた、とのことですが、どういうことなのでしょうか。」

孟子は言った。

「士が、君主に仕えるのは、農夫が、農作業をするのと同じです。
農夫がどうして、国境を出るからと、自分のスキやクワを捨てるのですか。」

周霄は言った。

「なるほど。ところで晋は、やはり、士が仕えるべき国ですよ。
*戦国時代の魏(梁)は、趙や韓とともに、晋を継承した国家でした。とくにこの時期の魏は、晋の覇権を継承しているという意識が強く、そのため自国を“晋”と呼ぶのが通例だったようです。

それにしても…。
いままで、それほどまで仕官できないことに、あせらなければならとは、聞いたことがありませんでした。

ですが…。
そこまで、仕官することが、緊急を要するとおっしゃられるのであれば……、
あなたのような君子が、仕官をためらっておられるのは、どういうことなのですか。」

孟子は言った。

「男子が生まれると、父母は、その子に良い妻ができることを願います。
そして、女子が生まれると、良い家に嫁げるようにと願うものです。
このような父母の心は、人が誰しも持っているものです。

ですが、この男女が、父母の許しや仲人の言葉を待たず、壁に穴を開けて覗き合い、垣根をのり超えて互いに密会するようになれば、父母や国中の人々であれば、誰しもこれを賤むでしょう。

古の人に、いまだかつて仕官できることを望まなかった者などおりません。
それでも、あるべき道にしたがわないことを憎んできたのです。

あるべき道にしたがわず、それでも仕官におもむく者がいれば、それは壁に穴を開けて、覗き合うような男女と同類なのです。」

*以上、『孟子』76滕文公下―孟子と周霄の対話 仕官の作法
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【原文】
周霄問曰、「古之君子仕乎。」孟子曰、「仕。傳曰、〈孔子三月無君、則皇皇如也、出疆必載質。〉公明儀曰、〈古之人三月無君則弔。〉」「三月無君則弔、不以急乎。」曰、「士之失位也、猶諸侯之失國家也。禮曰、〈諸侯耕助、以供粢盛。夫人蠶繅、以為衣服。犧牲不成、粢盛不潔、衣服不備、不敢以祭。惟士無田、則亦不祭。〉牲殺器皿衣服不備、不敢以祭、則不敢以宴、亦不足弔乎。」「出疆必載質、何也。」曰、「士之仕也、猶農夫之耕也、農夫豈為出疆舍其耒耜哉。」曰、「晉國亦仕國也、未嘗聞仕如此其急。仕如此其急也、君子之難仕、何也。」曰、「丈夫生而願為之有室、女子生而願為之有家。父母之心、人皆有之。不待父母之命、媒妁之言、鑽穴隙相窺、踰牆相從、則父母國人皆賤之。古之人未嘗不欲仕也、又惡不由其道。不由其道而往者、與鑽穴隙之類也。」

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