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『孟子』80滕文公下―孟子と公孫丑の対話(11)君子が修養すべきこと

*今回は弟子の公孫丑との対話です。

公孫丑(こうそんちゅう)は質問して言った。

「先生が、諸侯とお会いにならないことには、どのような理由があるのですか。」

孟子は言った。

「古の時代、臣下でなければ、君主に会いに行くことはなかった。

段干木(だんかんぼく)は、垣根を超えて当時の魏の文公(ぶんこう)に会うのを避けた。
それに、泄柳(せつりゅう)は、魯の穆公(ぼくこう)が来られると、門を閉じて入れなかった。

まあ……、どちらも極端な例ではある。
君主から来られたのであれば、やはりお会いすべきであったのではないかな。

*段干木は、魏の人、孔門十哲の一人である子夏の弟子です。当時、戦国魏の強大化に成功した文公は、段干木を招聘しようとしていました。ところが、文公が段干木の家に来ると、段干木は垣根を跳び越えて逃げてしまったそうです。
いっぽう、
泄柳は、孔子から少しあとの世代で、魯の賢者とされた人物です。『孟子』53に、すこし登場しています。

魯の大夫の陽貨(ようか)は、孔子に会いたいと思ったが、こちらから出向いて無礼者と思われることを嫌がった。

*陽貨は、当時の魯の権力者で孔子を仕えさせようとした人物です。ちなみに、『孟子』60に登場する、陽虎(ようこ)の別名とされています。

さて、当時の魯ではこのような作法があった。
大夫が、士の身分の者になにか贈りものをすれば、自分の家で受け取ることができなかった際には、大夫の家の門で礼を述べなければならない。
そこで、陽貨は、孔子が留守にしている時を見計らい、孔子に蒸豚(むしぶた)を贈ったのだ。
だが、孔子はうまくやりすごし、陽貨の留守を見計らい、礼を述べてすましている。

とはいえ、この場合、陽貨が先んじて贈り物をしているのだから、どうして、会わないというわけにはいくまい。

曽子(そうし)は言っている。
〈首をすくめて肩を上げ、へつらった作り笑いをするのは、真夏の農作業よりも疲れる。〉

子路(しろ)も言っている。
〈まだ納得しているわけでもないのに、言葉を合わてせてくるようなやつは、見れば顔色が恥じて真っ赤になっているではないか。
こんなやつのことなど、私は知らん。〉

この二人の言葉を見ていると、とにかく君子が修養すべきこと、というものがよくわかる。」


*『孟子』80滕文公下―孟子と公孫丑の対話(11)君子が修養すべきこと

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【原文】
公孫丑問曰、「不見諸侯何義。」
孟子曰、「古者不為臣不見。段干木踰垣而辟之、泄柳閉門而不內、是皆已甚。迫、斯可以見矣。陽貨欲見孔子而惡無禮、大夫有賜於士、不得受於其家、則往拜其門。陽貨矙孔子之亡也、而饋孔子蒸豚。孔子亦矙其亡也、而往拜之。當是時、陽貨先、豈得不見。曾子曰、〈脅肩諂笑、病于夏畦。〉子路曰、〈未同而言、觀其色赧赧然、非由之所知也。〉由是觀之、則君子之所養可知已矣。」

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