見出し画像

『孟子』68滕文公上―孟子と陳相の対話(3)許行批判~聖人に暇なし

*前回の、孟子の言葉は続きます。

……。
尭(ぎょう)の時代、天下は、平和にはほど遠く、洪水があちらこちらで起きて、天下が氾濫にさらされていました。
そして、草木がはびこり、禽獣はやたらと増殖し、五穀が実ることもなく、禽獣が人の脅威として迫っていました。
このように、獣道や鳥の飛んだあとが、中国全土に入り乱れていたのです。

尭は、この状況に、思い悩みました。
そして、舜(しゅん)を推挙して政治を行わせました。

舜は、まず、益(えき)という人物に火を管理させました。
益が、山や沢地に火をかけて、その草木を燃やすと、禽獣は逃げて隠れてしまいました。

また、禹(う)は、黄河を九つの支流に整理すると、濟水(せいすい)や漯水(とうすい)を切り開き、海に注ぎこみました。
さらに、汝水(じょすい)や漢水(かんすい)を切り開き、淮水(わいすい)や泗水(しすい)を流し、これを長江に注ぎこみました。
それから、中国は食べることに困らなくなったのです。

この時期、禹は八年間、外をかけずりまわり、三回ほど自分の家の門の前をすぎることはありましたが、それでも家に入る暇がありませんでした。
畑を耕そうにも、耕すことなどできなかったのです。

そして、后稷(こうしょく)は、民に農業を教えました。
五穀を植えさせ、五穀が実ったことで、民や人が育ったのです。

さて、人には、道というものがあります。
飽きるまで食べ、暖かい服を着て、なまけてぼーっとして暮らし、それでいて教育がなければ、やはり禽獣に近い存在となってしまいます。

ですから、聖人は、このことを心配して、契(けい)を、民の教育を監督する大臣である、司徒(しと)としました。
そして、人としての倫理を教え、父子には親しみが、君臣には義が、夫婦には別(けじめ)が、長幼には順序が、友人には信が、それぞれ大切であるとしました。

放勳(ほうくん)は言っております。
〈彼らをねぎらい、彼らを来らせ、彼らを正して、彼らを真っ直ぐにして、彼らを助けて、彼らをかばって、自分自身で彼らのことをできるようにしてやり、さらに彼らにしたがって恵みを与え、賑わしてやるのだ。〉
*ちなみに、放勳は、尭の名です。

聖人が民を心配する様子は、このようなものです。
農作業をしている暇など、あるはずがないではありませんか。
……。

*孟子の言葉は、さらにつづきます。

*以上、『孟子』68滕文公上―孟子と陳相の対話(3)許行批判~心を労する人、力を労する人
*『孟子』について詳しく知りたい方はこちら

【原文】
……。當堯之時、天下猶未平、洪水橫流、氾濫於天下。草木暢茂、禽獸繁殖、五穀不登、禽獸偪人。獸蹄鳥跡之道、交於中國。堯獨憂之、舉舜而敷治焉。舜使益掌火、益烈山澤而焚之、禽獸逃匿。禹疏九河、瀹濟漯、而注諸海。決汝漢、排淮泗、而注之江、然後中國可得而食也。當是時也、禹八年於外、三過其門而不入、雖欲耕、得乎。后稷教民稼穡。樹藝五穀、五穀熟而民人育。人之有道也、飽食、煖衣、逸居而無教、則近於禽獸。聖人有憂之、使契為司徒、教以人倫、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信。放勳曰、〈勞之來之、匡之直之、輔之翼之、使自得之、又從而振德之。〉聖人之憂民如此、而暇耕乎。……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?