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『孟子』67滕文公上―孟子と陳相の対話(2)許行批判~心を労する人、力を労する人

*前回の孟子と陳相の対話は続きます。

孟子は、あらためてこたえた。

「穀物を、瀬戸物や農具と交換したから、陶工や鍛冶屋を苦しめて、瀬戸物や農具を取りあげている。と、いうことにはなりませんよね。
逆に、陶工や鍛冶屋が、瀬戸物や農具と穀物を交換したからといって、どうして農民を苦しめている、ということになるのでしょうか。

それに、そこまでおっしゃられるなら、許行先生は、なぜご自身で陶芸や鍛冶の作業をされないのですか。
自分の邸宅の中で、ものを作って使うことを諦めて、なぜわざわざ多くの職人たちと、面倒な物々交換をされておられるのですか。
はて、許行先生は、面倒を厭わない方なのですね。」

陳相は言った。

「職人の仕事は、言うまでもありませんが、日々の農作業を行いながらできるようなものでは、ありませんからね。」

孟子は、あらためてこたえた。

「そうですよね。
なのに、天下を治めることだけは、日々の農作業を行いながらでもできるというのですか。

天下には、大人物による事業があれば、個人のささやかな仕事もあります。
そして、人間一人の身の回りだけでも、多くの職人が作ったものであふれています。

もし、どれもこれも必ず自分で作って利用しなければならない、となったら、天下のひとびとを巻きこんで、みんなで疲れ果ててしまいます。

だからこのように言うのです。
〈ある者は心を労し、ある者は力を労す。〉

つまり、心を労する者は、人を治め、力を労する者は、人に治められます。
そして、人に治められる者は人を養い、人を治める者は人に養われる。
これが、天下に通じる義なのです。
……。

*孟子の言葉はつづきます。

*以上、『孟子』67滕文公上―孟子と陳相の対話(2)許行批判~心を労する人、力を労する人
*現代語訳に満足できず、『孟子』を漢文訓読で読みたいという人はこちら

【原文】
「以粟易械器者、不為厲陶冶。陶冶亦以其械器易粟者、豈為厲農夫哉。且許子何不為陶冶。舍皆取諸其宮中而用之。何為紛紛然與百工交易。何許子之不憚煩。」曰、「百工之事、固不可耕且為也。」「然則治天下獨可耕且為與。有大人之事、有小人之事。且一人之身、而百工之所為備。如必自為而後用之、是率天下而路也。故曰、或勞心、或勞力。勞心者治人、勞力者治於人。治於人者食人、治人者食於人、天下之通義也。……。

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