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孟子――シンプルな全訳

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忙しい貴方が、ひまなときにボーッと眺めることができる全訳を目指しています。性善説、王道と覇道、革命説……そして【仁義】。 ごくごくシンプルな『孟子』の全訳です。(制作途中) *…
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2020年11月の記事一覧

『孟子』59滕文公上―孟子と滕の文公の対話(6)風は草をなびかせる

*前回、太子であった滕の文公(ぶんこう)は、孟子の助言に従い、三年の喪を行おうとしました…

『孟子』58滕文公上―孟子と滕の文公の対話(5)三年の喪

*今回は、滕の文公の父である、定公が亡くなった際の逸話です。 滕の定公が亡くなった。 太…

『孟子』57滕文公上―孟子と滕の文公の対話(4)性善説~誰でも舜

*これは、孟子が、まだ太子であった滕の文公と、宋で会見した際の対話である。 滕の文公は、…

『孟子』56公孫丑下―孟子と公孫丑の対話(10)俸禄をもらうということ

孟子は斉を去ると、休(きゅう)の地に滞在した。 公孫丑は質問して言った。 「仕えても俸禄…

『孟子』55公孫丑下―孟子と充虞の対話(2)天を怨まず、人をとがめず

孟子は、斉を去った。 弟子の充虞は、道すがら質問して言った。 「先生、不機嫌そうなご様子…

『孟子』54公孫丑下―孟子と尹士の対話 期待すればこそ

孟子は、斉を去った。 すると、尹士(いんし)という人物が、人にこのように語って言った。 …

『孟子』53公孫丑下―孟子と客人の対話 間に立つひと

孟子は斉を去ると、昼(ちゅう)の地に宿泊した。 すると、湣王のために、孟子を引き止めようとする客人があらわれ、座り込むと、孟子を説得しはじめた。 孟子は、それに答えることもなく、肘掛けにもたれかかり、眠ってしまった。 客人は不機嫌になって言った。 「私は、弟子のようにあなたを尊敬して斎戒沐浴して一晩置いてから、直言申し上げに来たのですよ。 なのに先生は、寝たふりをして耳を傾けることもなさらない。 ならば、もう二度とお会いすることはありませんね。」 そして、客人は立ち上が

『孟子』52公孫丑下―孟子と湣王の対話 富を独占するおとこ

孟子は、俸禄と臣下としての地位を返上して、邸宅に戻ってしまった。 湣王は、自ら孟子にお会…

『孟子』51公孫丑下―孟子と陳賈の対話 周公と管叔〈2〉

*前回、燕で反乱が起きた不始末を弁解するために、斉の湣王に代わり、陳賈が孟子に会うことを…

『孟子』50公孫丑下―陳賈と湣王の対話 周公と管叔〈1〉

*これは、斉の湣王による対燕侵攻が行われ、斉が、燕を征服したすぐ後の逸話である。 *ちな…

『孟子』49公孫丑下―斉にて、対燕侵攻―大義と天吏

ある人が、孟子に質問して言った。 「あなたが斉に進言して、燕を討伐させたということですが…

『孟子』48公孫丑下―孟子と沈同の対話~対燕侵攻―討伐の大義

*これは、湣王の治世でおこなわれた、斉の対燕侵攻をめぐる逸話である。 *なお、これはあく…

『孟子』47公孫丑下―孟子と充虞の対話(1)母の葬儀について

〔現代語訳〕 孟子は、斉から母の葬儀のため、魯に帰っていた。 *孟子は、鄒の出身であるが、…

『孟子』46公孫丑下―孟子と公孫丑の対話(9)地位と実権

孟子は、斉における客卿(きゃくけい)として、滕の国君を弔問することとなった。 湣王は、蓋(がい)の地を治める大夫の王驩(おうかん)を、孟子の補佐として随行させた。 王驩は、孟子に、朝と暮れに面会するようにしていた。 しかしながら、斉から滕への道すがら、一度も弔問について相談することはなかった。 公孫丑は言った。 「斉の客卿の地位は、低いものではございません。 それに、斉と滕の間は、決して近い距離ではございません。 ですが、この長い距離を往復しながら、王驩さまの方から、一