『孟子』48公孫丑下―孟子と沈同の対話~対燕侵攻―討伐の大義
*これは、湣王の治世でおこなわれた、斉の対燕侵攻をめぐる逸話である。
*なお、これはあくまでも訳者の独断によるものですが、梁恵王下の宣王の対燕侵攻とは別に、湣王が、独自に再度の対燕侵攻を行なったものとして、話を進めていきます。
斉の臣下である沈同(しんどう)は、これはあくまで個人的な質問であると念押しして、孟子にたずねた。
「燕を討伐してもよいのでしょうか。」
*この時期、燕では、権力を掌握していた宰相の子之(しし)が、燕王である子噲(しかい)から王位を譲られるという事件が起きていた。
もちろん、燕の国内では強い反発が起こり、子噲の子で、太子である平(へい)が、子之に反乱を起こした。そのため、燕は混乱状態に陥っていた。
孟子は言った。
「よいでしょう。
燕王である子噲には、他人に燕を与える権限はありません。
一方、燕の宰相である子之も、子噲から領地をもらう権利はありません。
*燕はもともと、天子である周王によって、今の燕の王家が封建された国である。そのため、世襲ではない子噲と子之の間で行われた王位の移譲は、天子を無視する行為であると、孟子は解釈した。
例えば、ここに一人、国に仕える者がいるとします。
あなたが彼を気に入って、王に告げないまま、あなたの爵位と俸禄を与えたとする。その者も同様に、王の命がないにもかかわらず、こっそり爵位と俸禄をあなたから受け取ったとする。
では、こんなことが許されるでしょうか。
燕で起きている問題も、この例えと違いはありませんよ。」
*以上、『孟子』48公孫丑下―孟子と沈同の対話~対燕侵攻―討伐の大義
*現代語訳に満足できず、『孟子』を漢文訓読で読みたいという人はこちら
【原文】
沈同以其私問曰、「燕可伐與。」孟子曰、「可。子噲不得與人燕、子之不得受燕於子噲。有仕於此、而子悅之、不告於王而私與之吾子之祿爵。夫士也、亦無王命而私受之於子、則可乎。何以異於是。」齊人伐燕。
*この記事の訳は、原則として趙岐注の解釈にしたがっています
*ヘッダー画像:Wikipedia「孟子」
*ヘッダー題辞:©順淵
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?