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『孟子』52公孫丑下―孟子と湣王の対話 富を独占するおとこ

孟子は、俸禄と臣下としての地位を返上して、邸宅に戻ってしまった。
湣王は、自ら孟子にお会いして言った。

「以前、先生にお会いしたいと願い、かなわずにおりました。
ですが、ようやくお会いして、朝廷でご一緒できて非常に喜んでいました。
ところが、今や私を捨てて戻られてしまいました。
これからさき、どうなるのか、私には見当もつきませんが、これまで通り、先生とお会いすることはできるのでしょうか。」

孟子は答えて言った。

「私の方からお願いはしません。
ですが、もとより私も、そうなればと願っております。」

後日、湣王は臣下の時子(じし)に言った。

「私は、この斉の都に、孟子の邸宅を置き、弟子を養うために一万鐘の費用を与え、朝廷の大夫たちから国中の者たちまで、孟子のやり方を敬い、模倣させたい。
お前は、このことを私に代わって孟子に伝えてくれ。」

時子は、孟子の弟子の陳子(ちんし)を通じて、湣王の意思を孟子に伝えようとした。
陳子は、時子の言葉を孟子に伝えた。

孟子は言った。

「そうか…。あの時子では、どうして……、私を引き止めることができないことを、理解できるはずもないな。
もし私が富を求めているならば、なぜ十万鐘の俸禄を辞退しておきながら一万鐘を受けるようなことをするのか。
そもそも、富を求めているわけではないのだ。

そういえば、うちの弟子の季孫(きそん)が、子叔疑(ししゅくぎ)についてこんなことを言っていた。

〈おかしなやつですよ、子叔疑は……。
自ら政治を取り仕切ることになっても、君主に採用されなくなれば、すぐにやめるものです。
ですが、あいつは、やめるどころか、さらに自分の子弟を大臣に任命させたんですよ。
人であればもちろん、誰であろうと富や権力を求めるのは、仕方ありません。
ですが、あいつの場合は、一人だけ富と権力の中に身を置いて、さらにそれを独り占めしているのです。〉
*ちなみに、季孫が批判しているこの子叔疑も、孟子の弟子である。
孟子は、自分の弟子が、仕官した国でこのような振る舞いをしていることを恥じていたと言う。


古の時代、市場ができると、人々は持っている物を、必要な物と交換していた。そして、市場の役人はただ、監視するだけだった。
ところが、ある賤しい男があらわれ、丘の切り立った高い場所に登り、左右を見渡して、市場の利益がでそうな場所を抑えてしまった。
人は、誰もがこれを賤しいことだと考え、そこで儲けに従って、彼に税金をかけることにした。
商人への課税は、この賤しい男から始まったのである。」

*『孟子』52公孫丑下―孟子と湣王の対話 利益を独占するおとこ

*現代語訳に満足できず、『孟子』を漢文訓読で読みたいという人はこちら

【原文】
孟子致為臣而歸。王就見孟子、曰、「前日願見而不可得、得侍、同朝甚喜。今又棄寡人而歸、不識可以繼此而得見乎。」對曰、「不敢請耳、固所願也。」他日、王謂時子曰、「我欲中國而授孟子室、養弟子以萬鍾、使諸大夫國人皆有所矜式。子盍為我言之。」時子因陳子而以告孟子、陳子以時子之言告孟子。孟子曰、「然。夫時子惡知其不可也。如使予欲富、辭十萬而受萬、是為欲富乎。季孫曰、〈異哉子叔疑。使己為政、不用、則亦已矣、又使其子弟為卿。人亦孰不欲富貴。而獨於富貴之中、有私龍斷焉。〉古之為市也、以其所有易其所無者、有司者治之耳。有賤丈夫焉、必求龍斷而登之、以左右望而罔市利。人皆以為賤、故從而征之。征商、自此賤丈夫始矣。

*この記事の訳は、原則として趙岐注の解釈にしたがっています
*ヘッダー画像:Wikipedia「孟子」
*ヘッダー題辞:©順淵

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