見出し画像

『孟子』50公孫丑下―陳賈と湣王の対話 周公と管叔〈1〉

*これは、斉の湣王による対燕侵攻が行われ、斉が、燕を征服したすぐ後の逸話である。

*ちなみに、斉は当初、燕の王室である太子の平の支援を名目として、勝手に燕王となった子之を討伐するために、燕の内乱に介入した。

だが、この混乱の中で、前代の王である子噲が殺害されてしまった。
しかも、子之を打ち破った斉の派遣軍は、どさくさ紛れに、その矛先を味方であった太子の平にまで向け、燕王室の軍まで破ってしまった。
こうして、斉は、燕を完全に制圧してしまったのである。
……と、なるはずでしたが、さすがに燕は、戦国七雄の一角です。

そんな簡単に、滅ぼされてしまうような国ではありませんでした。

制圧された燕が、斉に対して反乱を起こした。
湣王は言った。

「私は非常に、孟子に恥じている。」

湣王の臣下である陳賈(ちんか)は言った。

「王よ、心配なさらないでください。
ところで、王は、ご自身を周公と比べて、どちらが仁と智をそなえていると思われますか。」

湣王は言った。

「はぁ。なにを言ってるんだ。」

陳賈は言った。

「周公は、管叔(かんしゅく)に、征服した直後の殷の領地を監督させました。ところが、管叔は、殷で反乱を起こしました。
周公が、管叔のことをよく知っていたうえで、その任を与えたのであれば、仁ではありませんよね。
では、逆に彼の思惑に気づかないまま任を与えていたのであれば、智ではない、ということになります。

仁と智は、周公ですら、完璧にそなえていたわけではないのです。
まして王が、多少の間違いを犯すのは、しかたありません。
私が、孟子に会って今回のことを弁明してみましょう。」

*以上、『孟子』50公孫丑下―陳賈と湣王の対話 周公と管叔〈1〉

*現代語訳に満足できず、『孟子』を漢文訓読で読みたいという人はこちら

【原文】
燕人畔。王曰、「吾甚慚於孟子。」陳賈曰、「王無患焉。王自以為與周公、孰仁且智。」王曰、「惡。是何言也。」曰、「周公使管叔監殷、管叔以殷畔。知而使之、是不仁也。不知而使之、是不智也。仁智、周公未之盡也、而況於王乎。賈請見而解之。」

*この記事の訳は、原則として趙岐注の解釈にしたがっています
*ヘッダー画像:Wikipedia「孟子」
*ヘッダー題辞:©順淵

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?