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『孟子』57滕文公上―孟子と滕の文公の対話(4)性善説~誰でも舜

*これは、孟子が、まだ太子であった滕の文公と、宋で会見した際の対話である。

滕の文公は、太子であったころ、楚に向かう道中、宋をすぎたところで孟子とお会いした。
孟子は、性善について語ることを基本としていた。
そして、言葉を口にするたびに必ず堯や舜の例をあげた。

太子が楚から戻る道中、ふたたび孟子とお会いすることがあった。
孟子は言った。

「太子は、私の言葉を疑っておいでのようですね。
さて、道とは、ただ一つ、善を行う、それだけのことです。
かつて、成覸(せいかん)という人物が、斉の景公に言いました。
〈身分尊き彼は丈夫(おとこ)です。
ですが、私も丈夫です。
私が何を恐れることがありましょう。〉

顔淵(がんえん)も言っております。
〈舜はどのような人であったか。私はどのような人間か。
何かを成し遂げようとする者であれば、舜のようになれるのだ。〉

公明儀(こうめいぎ)も言っております。
〈文王は私の師だ。そして、周公がどうして私を欺くというのだ。〉
*顏淵は、孔子の直弟子、孔子に最も期待された人物で、孔門十哲に数えられています。
公明儀は、孔子の直弟子のなかでも有力であった子張(しちょう)の弟子とされています。


さて、今、滕の国の領土は、飛び出した箇所を除いて、その分でへこんだ箇所を埋めると、すくなくとも五十里四方ほどの広さになることがわかります。
これだけの広さがあれば、善い国をつくることができます。

『尚書』には、こうあります。
〈薬は目眩するほどでなければ、病を治すことはできぬ。〉」

*『孟子』56滕文公上―孟子と滕の文公の対話(4)性善説~誰でも丈夫、誰でも舜

*現代語訳に満足できず、『孟子』を漢文訓読で読みたいという人はこちら

【原文】
滕文公為世子、將之楚、過宋而見孟子。孟子道性善、言必稱堯舜。
世子自楚反、復見孟子。孟子曰、「世子疑吾言乎。夫道一而已矣。成覸謂齊景公曰、〈彼丈夫也、我丈夫也、吾何畏彼哉。〉顏淵曰、〈舜何人也。予何人也。有為者亦若是。〉公明儀曰、〈文王我師也、周公豈欺我哉。〉今滕、絕長補短、將五十里也、猶可以為善國。『書』曰、〈若藥不瞑眩、厥疾不瘳。〉」

*この記事の訳は、原則として趙岐注の解釈にしたがっています
*ヘッダー画像:Wikipedia「孟子」
*ヘッダー題辞:©順淵

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