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『孟子』58滕文公上―孟子と滕の文公の対話(5)三年の喪

*今回は、滕の文公の父である、定公が亡くなった際の逸話です。

滕の定公が亡くなった。
太子であった文公は、太子の世話をする傅役の然友(ぜんゆう)に言った。

「以前、孟子は宋において、かつての私に話をしてくれたのだが、その言葉が心にのこって忘れられない。
今や不幸にして、父である先代を弔うこととなった。
私は、あなたに、これから孟子を訪ねていただき、そのお話を伺ってから葬儀などの行事を行おうと思う。」

然友は、鄒に行くと、孟子に質問した。
孟子は言った。

「わざわざ訪ねて来られるとは…、すばらしいことです。親の喪とは、言うまでもなく自らの全てを尽くすものです。
曽子は言っております。
〈親が生きていれば、礼によって仕える。親が死ねば、礼によって弔う。
そして、葬儀の後は、礼によって祭る。そうすれば、孝と言えるだろう。〉

ただ、諸侯の礼については、私はまだ学んでおりません。
しかしながら、私はかつて、このように聞いております。

三年は喪に服し、粗末な斉疏(せいそ)と呼ばれる、織り目が荒い質素な服を着用し、濃かったり薄かったりする粗末なおかゆを食べる。
そして、そのしきたりは、天子から庶人まで例外なく、夏王朝から殷、周の三代にわたりつづいている。」

孟子の答えを聞いた然友は、本国に帰って報告した。
そこで文公は、三年の喪に服することを決めた。

だが、公室や大臣たちは、こぞって三年の喪を望まず、このように言った。

「我らが宗主国である魯の先代に、そのようなことを行なった例はありません。それに、我らの先代にも、そのようなことを行なったという例はありません。
あなたの代になって、これまでの先例を覆すというのは、許されません。
それに、古い記録にもこのようにあります。
〈葬礼や祝祭は、先祖に従うこと。〉」

*以上、『孟子』58滕文公上―孟子と滕の文公の対話(5)三年の喪
*現代語訳に満足できず、『孟子』を漢文訓読で読みたいという人はこちら

【原文】
滕定公薨。世子謂然友曰、「昔者孟子嘗與我言於宋、於心終不忘。今也不幸至於大故、吾欲使子問於孟子、然後行事。」然友之鄒問於孟子。孟子曰、「不亦善乎。親喪固所自盡也。曾子曰、〈生事之以禮。死葬之以禮、祭之以禮、可謂孝矣。〉諸侯之禮、吾未之學也。雖然、吾嘗聞之矣。三年之喪、齊疏之服、飦粥之食、自天子達於庶人、三代共之。」然友反命、定為三年之喪。父兄百官皆不欲、曰、「吾宗國魯先君莫之行、吾先君亦莫之行也、至於子之身而反之、不可。且志曰、〈喪祭從先祖。〉」

*この記事の訳は、原則として趙岐注の解釈にしたがっています
*ヘッダー画像:Wikipedia「孟子」
*ヘッダー題辞:©順淵

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