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『孟子』47公孫丑下―孟子と充虞の対話(1)母の葬儀について

〔現代語訳〕
孟子は、斉から母の葬儀のため、魯に帰っていた。
*孟子は、鄒の出身であるが、祖先が魯の有力氏族である孟孫氏の一族であったと言う。そのため、魯で葬儀が行われたものと思われる。

その後、孟子は、斉に戻る途中、嬴(えい)の地に滞在していた。
その際、弟子の充虞(じゅうぐ)が、孟子に申し上げたいことがあると言った。

「先日、先生は、私が要領の悪いことをご存知ないまま、私に棺や、棺の外枠である槨(かく)を組み立てる職人の見張り、というお役目をお与えくださいました。そのため、その役目で手一杯でした。
ですから、私は、その場で先生に、ご意見することができなかったのです。
今更ですが、この場には他に人もおりませんので、申し上げたいと思います。

何かと申しますと、棺や、槨に使った木材ですが……、いくらなんでも立派すぎたのではないかと思うのです。」

孟子は言った。

「古の時代、棺や槨の形に決まりはなかった。周公が礼を定めた中古の時代になって、棺の厚さは七寸、槨はこれに合わせるように定められた。
この制度は、天子から庶民まですべて適用された。

だが、あえて今回、このような葬儀を行ったのは、ただ棺や槨の見た目を立派にして、人々に見せつけたかっただけではない。
棺や槨を分厚く、荘厳なものにすれば、腐って朽ち果てることもすくなくなる。
つまり、親への思いを込めて、人としての心を尽くした結果なのだ。

もし法によってダメだということであれば、人として満足することができない。また、財産がなくてできないということであれば、やはり人として満足できない。

だが、法に照らしても問題なく、財産も十分にある。
そうであれば、周公が礼を定める以前の、古の時代の人々は誰であろうと、立派な棺や槨をつくっていたのだ。
だから、私だけがどうして、この慣習に従わないでいられようか。

それに、死者のために、土がなるべく肌に触れないようにしてやることは、人として、心地よいことではないか。
私は、こう聞いている。
〈君子は、天下の機嫌をうかがって、自分の親に出し惜しみしてはならぬ〉とね。」

*『孟子』47公孫丑下―孟子と充虞の対話(1)母の葬儀について

【原文】
孟子自齊葬於魯、反於齊、止於嬴。充虞請曰、「前日不知虞之不肖、使虞敦匠事。嚴、虞不敢請。今願竊有請也、木若以美然。」曰、「古者棺槨無度、中古棺七寸、槨稱之。自天子達於庶人。非直為觀美也、然後盡於人心。不得、不可以為悅。無財、不可以為悅。得之為有財、古之人皆用之、吾何為獨不然。且比化者、無使土親膚、於人心獨無恔乎。吾聞之君子、不以天下儉其親。」

*この記事の訳は、原則として趙岐注の解釈にしたがっています
*ヘッダー画像:Wikipedia「孟子」
*ヘッダー題辞:©順淵

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