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『孟子』54公孫丑下―孟子と尹士の対話 期待すればこそ

孟子は、斉を去った。
すると、尹士(いんし)という人物が、人にこのように語って言った。

「さて、孟子という人物は……、
斉の王たちが、殷の湯王や周の武王ほどの人物ではないことを、知らないで来たのであれば、物事を見通す力がなかったということになる。

では、その王たちがダメな人物だと知って、わざわざ来たといのであれば、王の恩沢に群がりに来た、ということになる。

しかも結局、千里をこえて王に会いながら、意見が合わないからと、立ち去ってしまった。
ところが、今度は三日も止まってやっと昼(ちゅう)の地を出たというではないか。
なんともまあ、ぐずぐずした態度ではないかね。
私は、こういうのは不愉快だな。」


孟子の弟子の高子(こうし)は、この噂を聞きつけて孟子に告げた。
孟子は言った。

「あの尹士ごときに、どうして、私の行いを理解できるはずがなかろう。
千里をこえて、斉の王にお会いしたのは、私が望んだことだ。

だが、意見が合わないからと立ち去ったのは、私が望んだことではない。
私は、やむをえなかったのだ。
私は、三日ほど昼に滞在したが、私の心の内では、それでも出発するのが早いかもしれないと思ったほどだ。
なぜなら、王には、これまでの行いを改めてほしいと願っていたからだ。
王がもし、これまでの行いを改めてくだされたなら、必ず私を呼び戻されるだろう。
だが、昼の地を出てからも、王が私を呼び戻される気配はなかった。

私は、それだけを確認して、ただ流れるままに帰国しようと思ったのだ。
私は帰国したが、どうして、王を見捨てたわけではなかったのだ。

斉の王は、善を行うことができるはずの人物だった。
王が、もし私を用いさえすれば……、どうして、斉の民を安んじるだけではない。
天下の民すべてを安んじることができただろう。

だからこそ、王には、どうかこれまでの行いを改めていただきたい。
私は毎日、このように願っていたのだ。

そんな私には、あの器の小さい人間と同じようなことはできないよ。
君主を諫めて受け入れられなければ、すぐに怒って、気分にまかせて去っていく。しかも、一日かけてとにかく遠ざかり、ようやく宿をとるような……。そんなマネはね。」

尹士は、人づてに孟子の言葉を聞いて、言った。

「私のほうこそ、じつに器の小さい人間だ。」

*以上、『孟子』54公孫丑下―、孟子と尹士の対話 期待すればこそ

*現代語訳に満足できず、『孟子』を漢文訓読で読みたいという人はこちら

【原文】
孟子去齊。尹士語人曰、「不識王之不可以為湯武、則是不明也。識其不可、然且至、則是干澤也。千里而見王、不遇故去。三宿而後出晝、是何濡滯也。士則茲不悅。」高子以告。曰、「夫尹士惡知予哉。千里而見王、是予所欲也。不遇故去、豈予所欲哉。予不得已也。予三宿而出晝、於予心猶以為速。王庶幾改之。王如改諸、則必反予。夫出晝而王不予追也、予然後浩然有歸志。予雖然、豈舍王哉。王由足用為善。王如用予、則豈徒齊民安、天下之民舉安。王庶幾改之、予日望之。予豈若是小丈夫然哉。諫於其君而不受、則怒、悻悻然見於其面。去則窮日之力而後宿哉。」尹士聞之曰、「士誠小人也。」

*この記事の訳は、原則として趙岐注の解釈にしたがっています
*ヘッダー画像:Wikipedia「孟子」
*ヘッダー題辞:©順淵

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