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清水慎一自叙伝【7】いよいよフランスへ

清水慎一自叙伝【7】いよいよフランスへ

東京の菓子店での修業を終えて、目標であったフランスへいよいよ旅立つときが来ました。

社長からは、『何のためにフランスにいくのか、フランスに行って何をするのかをしっかりと明確にしなさい。ただ行くだけのパティシエなんて山ほどいる。でもその中で成果を掴んで帰ってくるのはほんの一握りだ。』と言われ、僕の中で設定したのが、

①国際コンクールに出場する
②有名店で働いて世界一の技を見る
③フランスの友だち

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清水慎一自叙伝【6】お菓子が面白くなってきた

清水慎一自叙伝【6】お菓子が面白くなってきた

幸い、一年目にスイッチが入りなんとかこの業界で生きていこうと踏み止まれたのですが、そのスイッチの入り方がまた極端で…まだ何も出来ない内から「3年後にフランスに行く!」と決めて仕事に打ち込んでいました。

病的に不器用だったので、とにかく技術練習も量をこなして、お菓子の本を読み漁り、勤務先の材料を勝手に使って色んなものを試作しました…(当時の社長、すみません…!)

時間はかかりましたが、少しずつ色

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清水慎一自叙伝【5】やる気スイッチ

清水慎一自叙伝【5】やる気スイッチ

パティシエ修業をはじめたばかりの僕は、楽しみや喜びなどを感じることもない毎日を過ごしいました。自分で何も考えることもせずに、ただ「やらなければならないからやる」だけの理由で…。

別に手を抜いたりする訳ではないのですが、自分から進んで何かを教わったり目標を持ったりすることはありませんでした。

お菓子にも興味がないし、真剣に仕事をしようとも思わない当時の僕だったので、ただなんとなく『こなす』毎日で

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清水慎一自叙伝【4】菓子屋での修業がはじまる

清水慎一自叙伝【4】菓子屋での修業がはじまる

そんなこんなで、なりたくもなかった菓子屋になることになり、大学卒業と同時に都内のパティスリーでパティシエとしての第一歩を踏み出しました。

今でこそ、『修業』なんて言葉は使いませんが、当時は『修業』なのか『修行』なのかわかりませんが、とにかく厳しさに耐えて技を得るという時代です。

当時、『パティシエ』という言葉にさほど市民権はなく、『菓子屋』とか『菓子職人』という方がしっくりしていた時代の影響も

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清水慎一自叙伝【3】菓子屋になろう!と決意する

清水慎一自叙伝【3】菓子屋になろう!と決意する

前回までのエピソードを読んでから、先に進むことをオススメします🎶

僕は小学校4年生から野球をはじめて、中学高校大学まで、硬式野球部に所属していました。
大学時代のチームメイトや同リーグからは何人もNPBプロ野球選手になっています。

僕もプロ野球選手を夢見て少年時代を過ごしていましたが、さすがにそれは無理だと実感させられたのは、遅ればせながら大学時代でした。
大学2年生までは本当に順調にベンチ

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清水慎一自叙伝【2】〜菓子屋になりたくなかった本当の理由〜

清水慎一自叙伝【2】〜菓子屋になりたくなかった本当の理由〜

前回は、僕がいかに不器用で面倒くさがりかの話をしましたが、それが菓子屋になりたくなかった本当の理由ではありませんでした。

物心ついたときから、我が家は菓子屋でしたが、今でこそ笑話にできますが、当時の我が家はお世辞にもキレイなお菓子屋さんとは言えないもので、小さな間口一つの古い建物で、通りすがりの人には『お菓子屋さん』だとは認知されないような店でした。
子どもながらに、胸を張って「ウチはお菓子屋さ

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清水慎一自叙伝【1】〜菓子屋にはなりたくなかったんだけど〜

清水慎一自叙伝【1】〜菓子屋にはなりたくなかったんだけど〜

パティシエとして今年で23年目。
経営者として12年目になります。

別に今年は何の節目でもないけど、今一度ここで自分の軌跡を何回かに分けて記していこうと思います。

このブログの内容に興味があれば、2010年に文屋出版さんに作ってもらった初の著書『世界夢ケーキ宣言!』世界夢ケーキ宣言 -幸せは家族だんらん https://www.amazon.co.jp/dp/4861136296/ref=cm

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